ごま塩ニシン

夜霧の巷(33)

自作小説

 夕刻、菅原が伯母の家に帰ると、早水陽子から二日後の土曜日に遺品整理の業者が来てくれることになった。もし、慎一郎が欲しいと思う物があるなら、残しておくので亡くなった早水正信の書斎を調べておくようにと言われた。そういえば、昨年、故早水正信の七回忌をすませた。伯母は、子供がいないので老後の一人暮らし対策に舵を切ったのかもしれない。法事をすませて、心の整理がついたのかもしれない。伯母は早水家の養子になって家名を継いでほしいと言っていたが、菅原がすっきりした返事をしないで、ずるずると生活しているものだから、痺れを切らしたのかもしれない。それに伯母からすれば、ルポライターというような将来性において未知数の仕事をしている菅原に見切りをつけたのかもしれない。いろんな思いが菅原の頭の中を錯綜した。
 確かに伯父の書斎をじっくりと観察したことはなかった。子供のころから遊び心で書斎に接してきたが、本棚にある書籍をじっくりと見たこともなかった。建築関係の本が多かったが、美術書や建築の写真集が多く並んでいた。部屋の一角に目を見張るものと言えば鎧があった。若い頃は剣道をしていたので、鎧兜に趣味があっても不思議ではない。帆船の置物もあった。過去を思い出しながら、菅原はトイレの向こう側に位置する伯父の部屋を寝る前に覗いてみた。伯母は何日もかけて、室内を整理しているから整然となっていた。スイッチを入れて、改めて室内を見渡した時、何か故人の魂が今なお部屋の隅々に隠れているようにも思われた。
 特に目新し物は何もなかった。初めて目にするものはなかった。すべて過去のものであった。伯父のデスクに座って、脇机の引き出しを何気なしに見てみた。これは初めてであった。そこにはビジネス手帳がずらーと並んでいた。ある意味で新鮮に映った。1冊を取り出して、ぱらぱらと見た。そこには几帳面であった伯父の姿が目に見えるように整った文字で書き込まれていた。菅原は、この一瞬からビジネス手帳の内容に吸い込まれていった。