夜霧の巷(34)
伯父の故早水正信は病で倒れる直前、どんなことを考えていたのだろうか。菅原に興味が湧いた。途中から抜き出したビジネス手帳を元に戻して、7年前の最後の手帳を改めて開いてみた。
『新陽建設が長年にわたって開発してきた新栄街区も6号レジャービルの完成で一応の区切りがついた。テナントも落成式を待たずに、すべて契約できた。体調が良ければ、事務所に顔出ししたかったが、思うようにいかない。1週間前にクラブ霧笛のママの雪枝とニューフェースの北川美佐、信太盛太郎が見舞いに来てくれたが、何か遠い過去のように思えてならない。信太にはいろいろ世話になった。美佐にも感謝したい。』
一瞬、菅原の全身に電流のような衝撃が走った。彼は伯父の書き残した文言を何度も読み返した。思ってもみなかった内容であった。
「信太盛太郎。信太といえば・・・」
運河から転落して港に浮かんでいた人物ではないだろうか。伯父の正信とつながりがあったとは、思いもよらないことであった。菅原は引き出しに残されていたビジネス手帳をすべて点検した。すると、信太の名前が何度も出てきて、どうやらクラブ霧笛で待ち合わせを定期的にやっていたことが鮮明になってきた。これは何の手掛かりもなかった信太盛太郎の不審死に大きなヒントを残してくれたことになる。ビジネス手帳を握り締めた菅原の手がぶるぶると震えて止まらなかった。
想像するに信太盛太郎は建設業界と深いつながりのある人物だということである。ただし、伯父の正信も信太も、すでにこの世の人ではない。クラブ霧笛の北川美佐という人に会えば、何かの手掛かりがつかめるかもしれない。それにビジネス手帳に書かれている内容であれば、伯母の早水陽子からも何か聞き出せるかもしれない。窓から見える夜空の星々が異様に輝いているように見えた。