ごま塩ニシン

夜霧の巷(36)

自作小説

 エレベーターのドアが開くと、そこはクラブ夕霧の玄関になっていた。一坪ほどのスペースだが、大きな壺に花が投げ込むように活けてあった。靴底が沈むような絨毯が敷かれていた。部屋から掃除機の音が響いていた。
「突然、お邪魔します。」
 菅原は大きな声で呼んだ。反応するように掃除機の音が止まった。北川美佐が出てきたが、見慣れない顔なので不審そうに「何か。」と訊いた。戸惑うというより警戒心が美佐の表情に出ていた。菅原は尋常の方法では、何も聞けないだろうと腹を括っていたので、思い切った賭けに出てみた。
「実は、だいぶ以前に亡くなりました早水正信の親戚の者なのですが、正信の甥にあたる菅原慎一郎といいます。お店のオーナーの雪枝さんにお聞きしたいことがあるものですから、訪ねて来たのです。」
 いきなり具体的な話になって、美佐は戸惑いを感じた。
「どんなことでしょうね。」
「昨年に伯父正信の7回忌もすませまして、伯母の陽子と正信の遺品の整理をしていましたら、伯父が丁寧に記録していたビジネス手帳が出て来たのです。」
 こう言って、菅原は鞄から分厚い手帳を出して、美佐に見せた。
「亡くなる直前の記録として、ここのお店のことが書いてありましたので、何かご存知ではないかと思って、お伺いをしたわけなのです。」
 美佐は、いきなり見せられたビジネス手帳に驚きを感じたらしく、文章を詠み終えると、過ぎ去った遠い情景を覗き込むような表情をした。
「そういえば、思い出しました。お見舞いにママと一緒に行きましたね。」
 美佐は、こう言って、やっと表情を和らげた。

  • 吉春

    吉春

    2018/08/09 00:25:19

    ごま塩ニシンさん今晩は
     時間があったので『おすがり地蔵尊秘話』読了いたしました。
    主人公の一人称で語られるお話ですね。話の流れはすうっと入ってきました。

     少しばかり感想です。妻との不和は借家の大家さんとの会話で、毒殺疑惑だけでないと少し説明されていますね。そして最後に妻からの申し出で仲直りしているが、彼女の心模様の描写が不足している感じ。
     義弟の事故死について、何だか事件臭がしているのに解明されていない。てっきりこれらの事を、件のお地蔵さんが解決してくれる結末を期待しておりましたが、肩透かしを食らった感じです。これらはただ単に波乱の生活感を出すための添え物だったのでしょう。お地蔵さん秘話なのですから、たとえば大家さんの義父とお地蔵さんの因縁話があった方が良かったのかも。
     またいつか、『夜霧の巷』も拝読させて戴きます。ありがとうございました。