ごま塩ニシン

夜霧の巷(39)

自作小説

 コーヒーショップ『カモメ』のドアを押すと、奥のテーブルで由梨花が若い男と顔を寄せ合って話し込んでいた。菅原は吸い込まれるように二人のいるテーブルに直進して行った。二人はタブレット端末を覗き込んでいた。
「やあ。何してるの?」
 菅原が声をかけてみると、相手の男はユーチューバーの古宮雄太であった。
「今日は。」
 古宮は、不意の問いかけに緊張した様子で菅原を見上げ、顔を赤らめた。
「動画の投稿について、教えてもらっているの。」
 こう言って、由梨花は腰を上げた。
「俺の顔を見て、慌てることないだろう。由梨ちゃんもユチューバーを目指しているのなら、しっかり教えてもらえよ。」
 今年、由梨花は二十七歳になった。菅原とは半年ほどの年齢差で幼稚園からの付き合いであるが、結婚には至っていない。古宮は大学の4年だから、二十二歳だろう。由梨花の五歳年下になる。古宮には若さが匂っている。由梨花が興味を抱いたとしても不思議ではない。菅原の出現に由梨花が慌てた表情を見せたところが微妙に何かを感じる。むしろ、菅原は由梨花が自由な気持ちでいてくれた方が楽である。あまりにも慣れ親しんでいると刺激がなくなってくる。もし、彼女が求める男が古宮のようなタイプであれば、それはそれでいいだろうと菅原は直感した。
 菅原は由梨花が座っていた椅子に腰かけ、古宮と向かいあった。そこへ手早くコーヒーカップを持って、由梨花が戻ってきた。
「慎一郎さん。隣のテーブルでいい。私、古宮さんからレッスンを受けているのよ。席を変わって、ちょうだいませ。ませませよ。」
 こう由梨花に催促されて、菅原は止む無く隣のテーブルに移動した。
 菅原には予想外の状況であった。清宮水産のことを聞くためにコーヒーショップ『カモメ』に来たものの由梨花が動画のレッスンを古宮から受けているとは思ってもみなかったことだ。菅原は早々にコーヒーを飲み終えて店を出た。
「ゆっくりして行ったら。」
 由梨花の呼び止める声が背中に聞こえた。だが、菅原は振り向きもせず、右手を挙げただけであった。