脳活日誌1185号
学ぶということ。
孔子の言葉に「不知為不知 是知也」とある。知らないことは知らないと自覚することが、本当に知ることであると教えている。知らないことは、教えてもらうしかない。人のすること、考えることは誰か先人が、すでに考えていることが多い。世界同時発見というのがあるが、特許を取るならば、一秒でも早く申請したものが勝利者だが、考え方の特許というのはない。サッカーでゴールの仕方で特許は取れない。野球でホームランの打ち方について、あれは俺の考えたバットの振り方だから、マネするなとは言えない。
真似して上手になっていくと言われる分野は沢山あるだろう。そっくりさんも芸だから、真似して何ぼの稼ぎになっていく。しかし、こうするのが一番だよと教えられても、なかなか自分のものとして身に付くかと言えば、そうでもない。マネするのにも才能がいる。とやかく言われんでも、知ってるわ。しかし、知ってるつもりでも、知らないことが多い。知ってるなら、やれるはずなのに、それが思うように成果が上がっていかないのは、どういうことだ。
同じ教室で、同じ先生から授業を受け、平等に学んでいたのに成績がトップからビリまで綺麗に分かれるのは、どういうことなのだろうか。先生から言わせると、知らないとは言わせないぞ。ちゃんと教室で説明したではないか。なんで、この問題が解けないのか。この馬鹿たれが、何を聞いていたんだ。これが世の中の普通の現象である。頭が悪い、努力が足りない、精神が集中していない、生活環境が思い通りにならないなど、いろいろ理由はあるだろう。知っているつもりでも、勘違いと言うのもある。知っていると思っていても、何も知らなかったのと同じだという結果になることもある。