NHKのゲノムの番組を見てちょっと思ったんだけど
NHKのゲノムの番組を見てちょっと思ったんだけど
やっぱり「新潮45」の記事批判ってちょっとおかしいと思ったんだよね。
「多様性を肯定」している様に批判している人は見えるけど
自分達が「現実的に多様性を否定」したんじゃないの。
だからぁ、何時も思う訳。
「一夫一妻」の法律を批判しないでゲイの夫婦をみとめろとか、レズの夫婦を認めろとか
自分達は弱者みたいな少数みたいな事を言っているけど。
其れなら結婚制度の一つの形の「一夫多妻」も認めろと言っている人は正しい訳?
アメリカの州ではどうなのかな?
此れって70年頃にゲイだとレズだのの前に出た事なんだけどね。
自由恋愛のなんというかヒッピーの人達と言うか。
結婚と言う形にとらわれないと言うのね。
それすら解決せずにそのままで其の事は置いといて
今ゲイとか、レズとかを批判した人を批判するなんて
何か「多様性」を自分達が自分達の都合の良い部分だけ利用している様な気がする。
まあ、日本の法律で「一夫一妻」そう今はなっているので其れで良いとは思うけど
だからと言って他国の「一夫多妻」の人達と暴力的殺し合いをして其の制度を
否定しようとは思わないけど。
自分の国では「一夫多妻」で其れで良いと思うと言った人に対してそんな事を言うなと
言う事はどうかと思う訳。
私ね、70年位のあの時からずっと思っていたんだけどね。
「多様性」と言う言葉や「差別」とか「平和」とか言う言葉を政治利用したり悪用したりしては行けない様に思う訳。
其れが「基本」の「多様性」と言う事を認めると言う事じゃないかな。
なんか、「綺麗事」を言っている様なニュースのコメンテーターを言葉を聞くと反吐が出そうだ。
朝日新聞が「従軍慰安婦の嘘」を認めて謝罪した。
だが、其の為に日本に及ぼした非常に大きな影響に対して何ら責任を取って無い。
そして其れに便乗した糞左翼どもも一切責任を取ろうとしない。
そんな奴らが今度は「ゲイだのレズだの」と彼らが其れを政治利用されるのを望んでいるのかどうかは解らないが、政治利用をしようとしている。
70年代の所謂「自由恋愛」の「結婚と言う形」或いは「一夫多妻」制度に関してもまだ結論が出ていないのに、其れを「突き詰めた」所で結論は出るのだろうか?
男も女も男も女も多数愛する気持ちが在って前立腺を使ったセックスが気持ちが良くっても支配したり、支配されたり、複雑な人間が同じゲノムでも環境によって変化する時に何かをこうだと言い切れるのであろうか?
其れよりも其の一つの意見を「ヘイト」として決めつけて言論を封鎖する様な行為の方が余程問題に成らないだろうか?
余程多様性を否定している事に成らないだろうか?
サルトルとボーボアールが二人がどれほど良い関係だったのか解らない。
でも自分に一番に相談してほしかった事が他の人に先に話されると言う些細な事で嫉妬を感じなかったのだろうか?
荒らしの時に誰かに傍に居て貰う不安と誰も居ない方が良い誰かに迷惑を足手まといになる事に成る負い目の方を先行させたのだろうか?
色々な時が在ったと思うし、色々な感情が在ったと思う。
唯其れを「ヘイト」として「言論封鎖」される事を望んでは居ない様に思う。
本当の多様性とは何かと思う。
私はもっと生身の感情を持った人間だから憎しみも恨みも持つ。
マスコミが侵した罪を償わないで「綺麗事」を行った時に味合う嫌悪感を
また一人のコメンテーターの下劣なきれいごとを並び立てて感じた。
そう言う個性を持った個体に取ってまやかしを報道するマスコミは許せない。
そしてどんな形の多様性であれ「まやかしがなさそうに見える意見」を
行った時に「嘘をついたマスコミが其れを謝罪も責任も取らず」にきれいごとで
批判して言論封鎖を肯定する事に反吐がでる。