コーデ。リンバロストの乙女
森を超えて、学校に行ってるの。卒業まで、毎日歩くわ。今日はレポートの発表会で、ちょっとおめかし
もらったステキコーデ♪:9
ちょっと古い、アメリカの少女小説では、貧しい家に生まれて、でも勉強がしたくて、がんばる女の子たちがたくさんいました。
「リンバロストの乙女」は、ジーン・ポーターの書いた、「そばかすの少年」の続編ですが、主人公が変わっているので、これだけでも読めます。母親にうとまれて、頭が良いのに進学できない女の子が、森の植物や、蝶などの生き物の採集をするアルバイトでどうにか学費をつくり、歩いて学校に通う話でした。
卒業式の日にも、母親は来てくれなくて、晴れ着も作ると約束していたのに作ってくれていない、という事態に、周囲の人が怒って、彼女のために走り回る描写がありました。
母親の事情もいろいろあったのですが、思春期の女の子が、わたしはお母さんに嫌われているんだ、と自分で認めるのは、辛かっただろうなあと思います。彼女が大人になったことで、どうにか関係が改善される予感で終わっていましたが。
貧しい家に生まれた女の子が、学校で学びたい、とがんばる系の話は、この時代にわりとあって、恋や青春なども語られていますが、
時代の限界もあるなあ。と今なら思います。結婚して家庭に入るのがゴール。みたいな雰囲気が。
リンバロストの乙女の場合は、研究者の変わったおばさんが、わき役として出てくるので、家庭に入らなくともこういう道もあるんだよ、という例にはなっていますが。
学校を出て、結婚して子供を育てながら、研究や仕事を続けるスタイルになっていくのは、もっと後の時代。でも、この時代には、女の子が学問をすること自体が珍しくて、味方になるはずの家族からさえ、足を引っ張られることも多かったんだろうなあ。と、思うと同時に、
卒業式に、「ぜいたくだとはわかっているけど、ふくらんだ袖のワンピースが着たい」、と願った、赤毛のアンの、おしゃれへのあこがれや、
お弁当に、森でつんできた色とりどりの葉をしきつめて、美しいいろどりを友達に披露した、リンバロストの少女の、きれいなものに対する繊細な心、
こういうものは、わかりづらいけど、大切にしないとだよね。と、思います。
同時に、明治の日本女性たちのことを書いたエッセイも思い出した。プライドのある生き方をしていた、明治の女性が、この時代のアメリカの少女小説の、がんばって学び続ける姿になんとなく、オーバーラップしました。
zacky
2018/11/03 10:05:41
日記広場から失礼します。
おっさんにいきなりコメントされてもお困りりになるかとは存じますが、僕もまさか、この本の名前を目にするとは思わなかったので・・・
当時、食い意地のはった子供だった僕は、この手の話を食い物描写目当てでちょいちょい読んでいて、女の子向けの話って、もっとゆるふわな内容かと思っていたら、結構シビアなストーリーでイメージとのギャップが衝撃でした…
たしか、そばかすの少年も、なにかの事情で腕がない男の子の話でしたよね。。。
こういうのを読んで、昔のアメリカの女の子達は大人の階段を上る準備をしたんですね… しのさんの日記を拝読して、なんか色々腑に落ちました。
長文になってすみません。
不審に思われましたら削除していただいてかまいませんので…