ごま塩ニシン

脳活日誌1264号

日記

   日記に書くネタなし
 日常とは同じことの繰り返し。生活というのは、堂々巡りの毎日だ。お百度まいりに似ている。願い事を書いたお札をもって、日常というお堂の周りを「安心、安全、平和、健康、繁栄」とか「円満、裕福、尊敬、健康、子孫」と唱えながら、一枚一枚お札を箱に入れていくようなものである。凡人は三段跳びができない。氷上の三回転、四回転と見ている方は気楽に眺めていられるが、いざ、飛んでみなさいと指示されたら、飛ぶ前に素人はひっくり返ってしまう。なかなか主人公にはなれない。日常の努力以上の何かが要るのだろう。つまり天性である。では、日常、何をすればいいのだろうか。自分に合ったジャンルで活躍すればいい。そうかもしれない。最近は他人から、能力がないのじゃないと宣告されても、少しも動揺しない。揺るがない自信はどこに根差しているのか。成果が出てこなくても、諦めるのは嫌だから、死ぬまで追求していく。これしかない。動揺したり、焦ったりはしない。今の状態を続けるしかない。これが自分のすべてだ・・・・・ワハハはアーーー。お終い。

  • みき

    みき

    2018/11/18 11:06:15

    ごま塩ニシンさん、こんにちは。

    毎日が無事に、っていうのが一番なのかもしれません。
    知人に聞いた言葉ですけれど、
    「人生を無事故無違反で過ごすことは、功成り名を遂げることより難しい。」
    たしかにそかも、って思います。

    生きていれば何かが必ず起こります。
    でも、その起こる出来事に対して、幸不幸を決めるのは私達自身なのかもしれません。
    人間万事塞翁が馬、なんていいますけれど、一見不幸な出来事でも、長い目で見てそれをプラスに転化できるような受け取り方をしていきたいな、って思います。

    それでは、今週もよろしくお願いいたします。