脳活日誌1276号
暖かい冬だ!
今日は父親の祥月命日なので護国神社へお参りに行ってきた。1945年11月29日に中国の武昌で戦病死している。日本がポツダム宣言を受け入れ、8月15日の終戦日(敗戦の日)から3ケ月後に父は亡くなったことになる。生きて本土を踏めなかった。父と同じように戦地で遺骨となった戦死者は数えきれない。孫子の冒頭に「兵者国之大事 死生之地 存亡之道 不可不察也」とある。第二次世界大戦へと拡大させていった日本軍の将軍達は国の運命を十分に察していたのだろうか?軍閥、自分の出世や組織の世渡りをしていなかったか、猛省してほしい。国民の死生が左右されたのであるから、このことを考えて軍と言うものはなければならないと思う。玉砕などという思考は間違った戦術だと思う。名将の考えることではない。戦地の指揮者に誤った方針を押し付けた軍令としか言いようがない。どうして道を考えなかったのだろうか。