ジュンチャン

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釣り師ジュンチャンのお気楽なブログ
お暇な折に遊んでください。

日本一周の旅 今日は山口県(^^)!

日記

山口県と言えば長州藩、長州は自然がまろやかで、気候は温暖で、行儀や言葉づかいの品の良さは日本中のどの県よりも良く、美しい物腰が残っているところです。

釣り師はこの山口県を先月10日程旅してきました。
絶景地にも恵まれていて、関門海峡、赤間神宮、福徳稲荷神社、角島大橋、元の隅稲荷神社、秋吉台などと続き、きりがありません。
「角島大橋」は山口県屈指の風景とのことで、まるで沖縄を思わせるような海が広がっていて、橋の中ほどの駐車可能なスポットで写真を撮りまくりました。
「元の隅稲荷神社」は世界が注目する今もっとも話題の神社だそうで、アクセスがかなり大変でしたが、強引にこの辺境の地まで行って、ここでも写真や動画を撮りまくりました。あいにくの雨の中、傘をさしながら撮った大内文化の最高傑作といわれる「瑠璃光寺五重塔」も凄かったですよ( ^)o(^ )
この他にも、青海島、秋吉台、萩城下町など、息を止めてしばしたたずんでしまうような場所が県内の随所に存在しました。

ところで、ここは総理大臣級の偉人の宝庫でもあります。

吉田松陰の松下村塾を見てきましたが、彼の教え子たちは高杉晋作や久坂玄瑞や桂小五郎や伊藤博文や山県有朋などで、維新や明治期に大活躍しました。

 

皆さんは、山口県と聞いて何を思い浮かべ、どこを旅してみたいですか。

 

 


#日記広場:日記

  • ジュンチャン

    ジュンチャン

    2019/06/13 16:50:21

    さら③さんへ
    こちらこそ、そう言っていただいてうれしいです。
    まだまだ途中の「日本一周の旅」ですが、今後とも宜しくお願い致します。
    山口は優しい感じがしていい雰囲気の町です。
    秋吉台も、機会があれば再チャレンジしようかな( ^)o(^ )
    ところで、やはり吉田敏麿の話になりますが吉田松陰は吉田敏麿の人を高く評価していて彼に無逸というあだ名を付けました。
    無逸とは中国の周王朝の時代に、周の偉大な政治家であった周公旦が周書の中で成王に対して「君子たるもの無逸であらねばなりません」と説くところで出てくる言葉で、言葉の意味は「怠け心や安楽を求めない(安逸に走らない)」という意味です。

    彼は京都の池田屋で勤王の志士たちが集まることをたまたま知り池田屋に出かけたが、会合中に新選組に襲撃され、彼は応戦し肩先に一太刀あびたが、変事を藩邸の同志に知らせるべく囲みを破って脱出し、長州藩の藩邸に飛び込んだ。
    藩邸は治外法権なので、敏麿は安全地帯に入ったことになるが、敏麿は藩邸内に留まることをせず絶望的な状況にある池田屋に飛び込んで、新選組の沖田総司か警戒中の会津藩士に切り殺された。

    長州藩士や同志への友情やいたわりの気持ちが、彼を走らせたに違いなく、怠け心や個人的な安楽を求めない、吉田松陰に無逸とまであだ名された彼の高等で優しい人柄が、このエピソードで伝わって来るような気がします。
    今イランに安倍総理が行っていますが、安倍総理は吉田敏麿のような郷土が誇る秀れた大先輩を持たれて幸せな方だと、釣り師は思いました( ^)o(^ )
    吉田敏麿は影の実力者ではなく、真の実力者だったかもしれませんね。

  • さら③

    さら③

    2019/06/13 08:04:28

    おはようございます。
    暇人ですから、こちらこそ遊んでいただいて嬉しいです♪

    一人旅だったら、山口の町はぶらぶら歩きたかったです。
    秋吉台はジュンチャンも気に入ると思います。
    行けるといいですね。

    吉田稔麿の話ありがとうございます。
    この話から感じた彼の雰囲気は、影の実力者(*^^*)

  • ジュンチャン

    ジュンチャン

    2019/06/12 12:02:32

    まず「秋吉台」ですが
    「サンゴ礁3億5千万年の旅」の結果としての現秋吉台の風景はぜひ見たかったのですが
    ここへ行く予定の日が豪雨の予報となって、ここから帰って来れなくなるのが怖くて
    代わりに大内文化の残り香の旧跡や史跡が随所に残っている山口の町を見てきました。
    新緑の雨の中の「瑠璃光寺五重塔」や京都の鴨川を模した「一の坂川」や「ザビエル記念聖堂」や「龍福寺」などは、やはり感動ものの風景でした。

    次に「萩」ですが
    釣り師も同じように、下関からレンタカーで萩まで行きましたが
    萩には2晩泊って、電動自転車や徒歩で、吉田松陰や高杉晋作等松下村塾の関係者達の
    旧居などを訪ねました。
    中でも良かったのは、前から気になっていた久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一とともに
    松陰門下の四天王と称される「吉田稔麿」の生家跡を実際に見られたことです。

    以下ウィクペディアから抜粋
    吉田稔麿が、戯れに、放れ牛の絵を描き、それに烏帽子と木刀に棒切れを添えて描いた。
    後に総理大臣にまでなった山県有朋が、それは何かと尋ねると、稔麿は、「高杉は俗事にこだわらない俊才で、誰もつなぎとめることはできない、これは、野に放たれた牛のようなものである。
    久坂玄瑞は雰囲気が立派なもので、烏帽子をかぶらせ、大きな屋敷に座らせれば絵になるだろう。
    入江九一は、(彼らに比べれば)少々劣るところもあるが、まあ、木刀くらいのものではある。
    斬ることはできないが、脅しには使える」と言った。
    山県有朋は、残りの棒切れは何かを尋ねた。稔麿は、「それはお前だ、凡庸で、何のとりえもない」と答えたという。
    人物の評価を1枚の絵で的確に表した吉田稔麿はやはりすごい人間で、作家の司馬遼太郎などは彼の「最期」を、太宰治の「走れメロス」のようだと表現しています。
    彼を切り殺した側の隊長である近藤勇も 「長州の士、吉田稔麿なるものあり。その死、最も天晴れ。後世学ぶべきものなり」と言っています。

    「元の隅稲荷神社」ですが、釣り師はうわさほどのところではないと正直思いました。

    「錦帯橋」は行かなかったのでここでは何も書けませんが
    機会があれば行ってみたいと思っています。

    お忙しい中、釣り師の日本一周の旅にお付き合いいただき感謝です。
    ハングルでも、감사합니다(カムサハムニダ)!(^^)!

  • さら③

    さら③

    2019/06/11 15:58:16

    友だちと4人で出かけました。四半世紀以上前ですね・・
    秋吉台あたりの国民宿舎にまず泊まりました。
    秋吉台あたりの風景は、荒涼とした感じで私好みであったけれど
    明るく見えたのは、連れがいたからかな。
    ひとりで来たら又違った印象かもしれません。

    レンタカーで萩まで行って、吉田松陰関係の施設を主に回りました。
    実際にここに幕末の志士たちが生きていたことを思うと、感慨深いものがありました。
    旅行から帰ってきてから高杉晋作に興味が湧いて、一時本を読み漁りました。

    錦帯橋に寄って帰途につきました。
    錦帯橋は、この旅行より前に広島のついでに寄ったことがあるので二回目。
    最初に来たときは白蛇を見た記憶があるけれど、2回目の時は橋を渡っただけだったかな。
    2回来ても、飽きない場所です。
    釘を使わないで、よく作れたものですね。

    「元の隅稲荷神社」初めて聞きました。
    雨にも降られたようですが、実りある旅だったようですね(*^^*)