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江戸は怨霊慰撫の街って知ってた? その9

勉強

河童というと何を連想するだろうか?

相撲? きゅうり? 皿? 薬? 緑や赤? 三つ指? 金気を嫌う? だいだらぼっち?

河童は水辺に住み、子供とよく遊び、相撲を取って水に引きずり込み、馬
を奪おうとし、厠で女性をぺたぺたと触り、きゅうりが大好きで、金気を嫌い、頭の皿から水がなくなると力を失うという。

「QED河童伝説」高田崇史著によると。

”秦氏は一族郎党を雄略天皇に奪われて奴隷とされた。そのために、莫大な絹織物を献上して、その人々を返してもらった。しかしその後、天皇は再び秦氏の民を徴用し、地方へと分散させてしまったーとか。また皇極天皇の時代には、秦氏は富士川の水辺の民たちを、朝命を受けることなく自費で討伐させられたーとか。また桓武天皇の時代には、平安京遷都の際に、自らの氏族の持つ広大な土地を、官用地として収公されたーとか。散々な目に遭わされている。自分たちの財産を、あらゆる方法を以って奪われてしまった。稼いでも稼いでも実を結ばない。だからこそー
秦氏の信仰する『伏見稲荷』が『商売繁盛』の神になったというわけだ。”

河童は秦氏のこととも、河原の民とも言われる。

河童がカネを嫌うのは、きゅうりが大好きなのと同じ理屈で、

「栄養価の低いまずいきゅうりでも食っていろ」と「お前たちはカネが嫌いだろう。だからオレたちがもらってやる」と同じ理屈だ。

馬にいたずらする河童の手を切り落とし、手を取り返しに来た河童から秘伝の疵薬を取り上げてしまうのも同じ理屈だ。

馬も女性も朝廷が河童たちから取り上げたものだった。だから、取り返そうと必死で近づき、力が足りず返り討ちにあった。そんな力のない河童たちが信仰したのが稲荷だった。

稲荷と河童と吉原の話をするとどうしても性的にセンシティブな話になってしまう。

”河童には『ガコ』『ガゴゼ』とかいう名称もある。そしてこれには『妖怪』という他に『老婆』ーつまり『老馬』という意味も含まれていた。昔の『老馬』は、役立たずという意味でもあった。さて、どうして『老婆』や『老馬』が役立たずなのかといえばーもう働けないということもあるけれどー子宝を望めないという意味が大きい。そして『馬』は『ウマッコ』、つまり『マンコ』となり、そのまま女性の陰部の名称になる。
この『マンコ』は、実は『真処』と書いて、非常に良いーというより、重要な言葉だった。なぜならそのままで、タタラの『火炉』のことになるからなんだ。
その証拠にもうひとつ。女陰のことを『ホト』と呼ぶだろう。これは『ホド』と同じ意味だ。
まさしく『火処』のことだ。『火炉』だ。つまり、タタラ製鉄は、古代にあっては上質な『宝』を生み出す。まさしく、女性が『子宝』を産む行為と全く同じだな。だから、炉に初めて流れる鉧を、初潮に例えてお祝いをしたりしていた。タタラに従事していた人々は、それほどに『火処』を大切にしていたんだ。また、一般の風習にもこんなものがある。『飛び込み馬』という縁起物の絵馬だ。これは、勢いの良い勇み駒の絵が描かれたものなんだが、これを馬が家の中に飛び込んでくるような方向で飾ると、家運が栄えるといわれている。具体的には『子宝に恵まれる』 
『金運が上がる』というものだ。
普通に考えれば、家の中に馬などが飛び込んで来たら、家中滅茶苦茶になってしまうだろう。とんでもない災難だ。それなのに、どうして飛び込んで来た元気の良い『馬』が幸福をもたらすのかといえば、それは『子宝』をもたらす、元気の良い『マンコ』だからだ。そしてそれは同時に『火処』となって『金』をもたらすというわけだ。”

稲荷に馬とカエルと猿がいる理由はきちんと筋が通っている。

遊女たちもすべてを諦めた人たちだ。吉原から出るには死ぬしかない。ってことで、稲荷を信仰したんだね。

つづく。


#日記広場:勉強

  • kiri

    kiri

    2019/08/13 15:05:29

    >菜乃さん
    こんにちは^^
    「北壁の死闘」は創元推理文庫から出ている山岳小説の傑作ですね。
    こちらに引っ越すときに海外のものはほとんど寄贈してしまったからうちにはないです。
    1987年初版なので古い作品だけど、アイガーの様子がよくわかるし、ベストセラーになっているのがよく分かる本ですよね。

  • 菜乃

    菜乃

    2019/08/13 14:04:20

    古本市場にいって
    北壁の死闘探したけどなかったです

    あまりに暑いためよみたくなったんです

    ボブ・ラングレーの作品です

    本は持っていますか?

  • kiri

    kiri

    2019/08/02 09:02:56

    >りりかさん
    おはようございます^^
    「蜻蛉日記」を著した右大将道綱母=藤原兼家妻の親戚筋が陸奥守として下向するときに

    わが国の神の守りや添へりけん かはく気ありし天つ空かな
    (私の任地の陸奥国は河伯(水神・河童など)という神がいると聞いていましたが、その河伯のおかげで晴れたのでしょうか)

    詠んだところ、道綱母は

    いまぞ知るかはくと聞けば君がため 天照る神の名にてこそありけれ
    (今ようやく知りました。かはくという神はあなたのために空を照らす天照大神だったのですね)

    と返歌していて、この時代には既に天照大神=河童という認識だったことがわかっています。

    伊勢は秦氏と関係が深いですから、秦氏=河童=天照大神という論理ですね。
    怨霊信仰があった頃に怨霊封じのために男子は全員殺すってことが源平以前から常識としてあって、平氏が滅んだのは頼朝を殺さなかったのも一因と言われています。ずっと昔は日本も全員皆殺しだったんです。

    北陸は籠神社が元伊勢だし、継体天皇も越前からやってきた天皇なので、大陸へ向かった玄関口として文化が高かったはずですね。たくさん神社もありますし。

    日本全国に広まった絹織物やいろんな技術は強制的に分散されられたおかげかも知らず、結果論でしか論じられないですが^^;;

    河童ってかなり虐待されていて、指3本あれば農作業ができるって三つ指にされたとこもあります。
    四天王が踏みつけている邪鬼の姿で本当にひどい扱いでした。

    実家も河童の流れなので、庶民はみんなそんな感じだったのでしょうね。

  • りりか

    りりか

    2019/08/02 08:35:37

    命生かされるまで。。とか刹那的に書いてしまったけど。。
    違ってましたw
    そんな どんなに大変な事態を生き延びてきた人達にも信仰が有って
    祭りもあって その時々を 人は 人生を謳歌してたのでしょうね^^

  • りりか

    りりか

    2019/08/01 11:10:01

    秦氏と河童が繋がっているとは思いもありませんでしたw
    人が居ついて住みやすい所は 川べりとか考えられますね
    財産が溜まると 家を建てる柱の一本から 買い足せる事になりますが

    秦氏が宮廷に 反物とか謙譲したとかは 前々から何かで見てましたが
    同族の奴隷解放の為 の貢物だとは驚きでした、、考えたらそうですよね・

    1度や2度は 諍いがあってこそ そういう場面が考えられますね
    上下関係がはっきりして 話し合いがあって もてなしとかがあって・・
    和気藹々と話し合いがあった中で もしかして 
    遠い昔 ご先祖は同じ方面から来たとか 話をしていたかもしれませんね^^

    今の宮中雅楽とかも何かしらの御縁で 伝わっているのだと思います

    秦氏が初期キリスト教を日本に伝えていますが
    稲荷が初期キリスト教との不思議なつながりもありますね

    諍いがあったとして どこぞの国のように 一族一人残さず惨殺とか そういうことが無くてよかったです
    私のご先祖様は京都から 北上した一族ですし 
    秦氏がどのように 各地に浸透していったか 興味が有るところです

    命 生かされるまで 生きる。。そんな人生だったのでしょうね・・

  • kiri

    kiri

    2019/08/01 10:32:17

    >ゆりかさん
    おはようございます^^
    土佐は不思議なところで、五摂家の一条家の分家の土佐一条家があったり、土御門家の陰陽師の流れのいざなぎ流があったりで、意外と文化度が高いところです。
    河童、一つ目小僧、唐傘お化けとかいわゆる妖怪と呼ばれる物の怪たちも、民俗学ではきちんと研究されていて、被差別民だったり、職業病だったり、ってことがわかっています。
    待乳山聖天につなげなければならないからいろいろ筋を考えなくては^^ですよ。

  • ゆりか

    ゆりか

    2019/07/31 21:42:59

    こんばんは、kiriさん。

    秦氏といえば、末裔と言われる長曾我部氏が思い浮かびますね。
    そんな不遇な歴史があったのは知りませんでしたが…
    河童の民というのも驚きです。河童といえば、きゅうりしか思い浮かばなかった;;

    河童は妖怪の一種かと思っていましたが、歴史が深いのですね。
    河童の特性にもそういう背景が隠されていたとは、
    なかなか興味深いお話で、面白かったです(*^^*)