楠木正成は怨霊となったのか? その7
後醍醐は自分の理想を掲げて親政に取り組んだものの、「新しい幕府を開いて武家の政治」を新しく始めたい足利尊氏と、「功があっても才の無い者」を排除したい後の三房の北畠親房とが、頑強な抵抗勢力となっていた。
清和源氏の嫡流の足利尊氏は武士の権益を守るという大義名分があり、北畠親房は「才徳ある者=身分の高い者」という血統主義を続けるべきとして、武士身分からの登用や吉田定房、千種忠顕らの重用に反対している。
楠木正成、名和長年、赤松円心らが商機をつかむチャンスだった、貨幣鋳造による他らしい経済の導入も、乾坤通宝の詔は出したものの実際に発行されたかどうかは確認されていない。
実は後醍醐のジレンマは現代日本とよく似ている。血統主義がそのひとつで、現在でも世襲の政治家が問題になっているが、ずっとずっと昔から政権は世襲とされていたのが日本だった。新しい人たちがその利権に手をつけようとすると徹底的に潰される。だから、日本の政治は血統で政治家の中から有能な人間が出てこなければまったく進歩できない。
もうひとつが軍事への忌避で、後醍醐が軍を掌握しようとしなかったように、現在の日本は自衛隊の存在自体で揉めている。極めて自衛隊に対して肯定的な現政権でさえ、自衛隊は軍ではないからと「軍法会議」の設置を認めていない。軍法会議がなければ軍が取った戦闘などの行為は正しかったかどうかの判定ができないにも関わらずだ。
問題点を抱えた政権に不平不満が出るのは当然で、西園寺公宗が北条時行とともに中先代の乱が起こる。西園寺公重の密告によって西園寺公宗は逮捕されたものの、北条時行の軍は足利直義・義詮が守る鎌倉を落としてしまった。
幽閉されていた護良親王を暗殺して、後顧の憂いを断った直義だったが政治家としては有能な彼も戦はからきし弱い。このままでは時行らの反乱軍は後醍醐への対抗勢力となって鎌倉で力をつけてしまう。
「逆説の日本史7中世王権編」井沢元彦著によると。
”当然、朝廷としては討伐軍を派遣しなければならない。
しかし、ここで日本にだけ、日本史にだけ起きる奇妙なジレンマに後醍醐は直面しなければならなかった。
中央政府である朝廷に、世界の国々がどこも持っている常備軍というものが無いのである。
しかし、事は急を要する。一刻も早く討伐軍を差し向けなければ、政権は重大な危機を迎える。
もっとも朝廷には「常備軍」は無いが、日本に「軍事力」はある。武士という「兵士」が日本国中にいるのである。だから、これを集結させ編成し討伐軍とすればいい。そして、その司令官に最もふさわしい人間は、どう考えても足利尊氏しかない。
このような時に日本が鎌倉時代以来、伝統的にとってきた方法といえば、武士の棟梁となり得べき人物を征夷大将軍に任じ、その将軍に武士を統率させることである。
しかし、後醍醐はそれは絶対にしたくなかった。朝廷が過去にそれをしたからこそ、その将軍の臨時基地に過ぎない「幕府」が朝廷を押さえて日本を統治することになったのではないか。
一方、尊氏にしてみれば弟のピンチである。当然、鎌倉討伐の軍を率いて東へ向かうことの許可を後醍醐に求めた。つまり、征夷大将軍に任じてくれとせまったのである。
後醍醐は言下にこれを拒否した。
この瞬間こそ、新政の最大の矛盾が現れた瞬間であった。
新政には火が付いている。反乱は一刻も早く鎮めなくてはならない。そのためには「軍」を派遣するしかない。その最適任者もいる。
しかし、「ダメ」というのだ。
では、どうする? ということについて、何の「対案」も無い。
もし、後醍醐が「普通の国」の帝王だったら、政権をとった段階で「軍を掌握」しようとしたはずだ。
しかし、日本には掌握しようにも「軍」が無い。いや、正確に言えば、後醍醐は軍など倒幕が終わってしまえば、必要無いと思っていたのである。”
後醍醐が立てば誰もがその徳にひれ伏し支持するという夢物語を信じていた後醍醐は命令を出せず、足利尊氏は討伐軍を出発させる。泥縄式に後醍醐は成良親王を征夷大将軍としたが、子どもで実権はなかった。
つづく。
kiri
2019/09/19 15:58:41
>ゆりかさん
こんにちは^^
この時代って明治になってから南北朝正閏問題が国会を揺るがす大問題になって、明治天皇の言葉で南朝が正統ってなったんですよね。
結果、皇国史観が出来上がり、第二次大戦へ向けて神の国となっていくのですが。
この時代で、後醍醐が正統性を示すとするなら、北畠顕家か護良親王を北面の武士の長として任命して天皇独自の軍を復活させるしかなかったでしょうね。
そうじゃなければ、北条時行の謀反で後醍醐は島流しでしょうから。
といっても日本の天皇家は軍隊を持っていないから滅ぼされなかったという点もあって、痛しかゆしですね。
ゆりか
2019/09/18 17:04:55
こんにちは、kiriさん。
その6から読ませて頂きました。
そういえば天皇から偏諱を賜った例は、尊氏だけだったのですね!
足利将軍とか、金銭と引き替えにあちこちに与えているので、ありがたみが薄れるような気がしますが、尊氏だけとなると、貴重に思えますね^^
後醍醐天皇と足利尊氏が袂を分かった裏側には、そんな事情があったとは。
現代の日本にも通じるジレンマはわかりやすい。歴史は繰り返しますね。
後醍醐天皇は、どうしたら政権を継続できたのでしょう??
この時代も、もっとじっくり勉強してみたくなりました(*^-^)