今年は感想を書く訓練なのだ

吉春

自分の思った事、感じたままを人に伝える事って実は難しい。「なにそんなんで感動するわけ?」って事が往々にして起こりうるからだ。

根小屋七沢七不思議

人生

 私が小学生のころ担任の先生は、「根小屋には七沢あって家の屋根より高いところを沢が流れている」と話された。その内容は、平方秀夫氏の詩『鎌倉道』よりの一節を引用されたもので、このようであったと記憶している。
 《根小屋七坂七不思議を、根小屋七沢七不思議と父は云った。中ッ沢、金井沢、太夫沢、井戸沢、地獄沢、薬師沢、土井沢を、村の人は天井川と呼んだ》
 千年か、れとも万年か、城山からの土石流のくり返しが、沢を天井にまで押しあげたというわけだ。

 ふるさとの山名、根小屋地区の丘陵には、山名城、根小屋城、茶臼山城の跡があり、まさに城山一帯に降り注いだ集中豪雨が土石流となり、扇状地を形成したに違いない。もっとも新田一族以前からも、治水と開墾がされ農耕が行われていたであろうから、城塞の構築による樹木の伐採と鉄砲水に、因果関係があったかどうか私にはわからない。


 さて、社会に出た十年よりも、故郷で過ごした十年の方が思い出は深いようだ。幼い当時、野外で楽しく遊ぶのは常識であり、秋になると陽が落ちるのが恨めしかった。オレンジ色の空が消えて行くのを心細く思い家路を急いものだ。根小屋七沢にまつわる話は、私の憶えているなかで最も古い部類に入る。

 その時も秋だった。やっともの心が付いたほんの幼い時の事だが、裏山の畑でサツマイモを作っていた時期がある。両親は収穫を終えると地元でリャーカーと呼ばれた引き車に、取れたサツマイモと私や妹を載せて地域で売り歩いた。実家の山名から上信電鉄の根小屋駅の近くまでたどり着く頃には、荷台の芋は残り少なくなっていた。
 伯母の住んでいた住宅の辺りであったと思う。売り買いのやり取りで、親父は冗談つもりだったに違いない。「これは何貫目あるから、いくらいくらだ」といって私をバネ秤につるしたのを覚えている。そんな親父殿は後で聞いたところによると、売り上げの多くを持って高崎の居酒屋へそそくさと出かけて行ったという。
 残されたお袋はわたしら兄妹を載せて、家より高い所を流れる沢にかかる橋を渡るため、何度も、何度も坂を上り下りした事だけは、はっきり記憶している。思えばその出来事は今に至るまでの、お袋の人生そのものだったように思える。


《この俺は親父のようになるまいと、思いはいずこ俺が親父に》 岡宗春

 思い出話は尽きないが、またいずれ語る事にする。

  • 吉春

    吉春

    2019/11/09 23:33:29

    セカンドさんコメントありがとう
    夕焼け空と言うのは、私にとって黄昏から続く悲しく寂しいイメージがあります。
    しかし大切な思い出です、楽しい思い出よりこういった記憶ばかりが沸き上がります。
    わびさびとは違いますが、ある意味日本人の心の奥にある何か大切なもののように思います。
    セカンドさんの前向きな詩を楽しみにしています。
    それでは

  • セカンド

    セカンド

    2019/11/09 09:55:39

    幼い時見た夕焼け空を思い出しました
    徒党を組んで時を忘れて遊びまわる

    東京にも広っぱという空き地がいたるところにあった
    誰かの母親が迎えに来るまで遊んでいたものです

    歴史ある故郷って素敵ですね
    景色を見るだけで重さを感じるのでしょう

    吉春さんの根っこの部分を
    少しだけ見たような気がします