ニッポン的と非ニッポン的へのコメント
カトリーヌさん家での話の返事
長くなりすぎたので自分のとこに書きます(笑)
面白い話をしていますね。
「博士号の価値が高い」ということが意味している背景も違いますね。
日本の場合は「学歴」=「基本給」
私は、どちらかというと「博士号」は仕事ができる最低ラインでそれがないと話にならない。それを持っているうえで何ができる人間なのかということが重要視されるという印象があります。
有資格者も飽和状態になっていて、資格はある程度の修練をこなせばだれにでもあげます。しかし、雇う側の人間は飽和状態にある有資格者の中から、本当にその仕事を全うできる人間を選んで雇うことができる。働く側からすれば、資格を持っているだけでは雇ってもらうことができないため、実力がなければ仕事にありつけない。
日本の場合は、資格を取ること自体が困難で、資格を取ってしまえば、その先はいい加減なことをやっていても悪いことをしたり、極端に職場に不利益にならないようなことをしない限り職を失うことがない。
つまり、資格を取るまでが努力の必要な人生で、資格を取った後は楽に生きられるとそういうことなんじゃないかと思います。
資格を持っていても、自分のやっている仕事にやる気(楽しさを感じること)のない人間が多いっていうのはそのせいだと思います。
「楽に生きる」=幸福
これって、本当なんだろうかと思うことがあります。
確かになにもせずに衣食住に満足できれば、生産性のあることをしなくなる人が増える・・・かもしれませんが、これは何故なんでしょう。
私たちは、人間であって、他の動物たちとは何かしらの違うものがあると思いたい。
山に登ることに価値を持っている人たちは、そのことに人生のすべてをかけていたりもします。与えられたものを受け取って何も生産せずに生きている人たちだって、テレビを見たりゲームをしたり何かしらの楽しみを持って生きています。
ということは、ただ衣食住が満たされているだけでは人は満足しないってことですよね?
それが分かっているのだったら、子どもたちが、生涯にわたり前を向いて胸を張って、生き生きと人生を送れるような人間になるためには何が必要なのかってことだってわかるはずなんです。(つまりは教育がまるで違う)
お金についてもついでに書きます。
どんなに使いきれないほどのお金を稼いでも、人はお金を稼ぐことをやめません。
確かにどんなにあっても現物があるわけじゃないので邪魔になることはないです。
お金って何かに変えることができなければ無意味なものですよね。
生産者が、お金を物に変えるのはもうやめます・・・・といえば、お金は物には変えられなくなります。
そうなったら、宇宙学的な数字の金銭も、本当にただの数字でしかなくなります。
当たり前のことですので、お金を持っている人たちは「金」を買い始めているので金の価格が上限なしに増え続けています。
では、生産者が金も要らないと言ったらどうなるのでしょう。
何を衣食住に必要な物と変えてもらえばいいのでしょう。
人は何もかもを失っても自分自身を失わなければ幸せに生きることはできると言いたいのです。
自分を磨き、他人にとって有益なことができれば、その技術はいつでも食べ物にかえられ、衣食住をまかなうことができます。
大切なことは何が「他人にとって有益なこと」であるのかを常に考えておくことなんじゃないでしょうか。
資産を持っている人たちはその価値を失うことに恐怖を感じています。だから「金」なんです。
失うものがない人間は、自分こそが価値の中心であり、自分こそが人生の中心でいられる。
どこの国の人間だってお金が要らないなんて人はいません(笑)
でも、それだけじゃね・・・・・
あ、やっぱり書きたいことだけ書いて終わってしまった・・・(爆、、
くらもと
2020/02/13 04:48:29
コメントありがとうございます。
確かにそのような文章にも見えますね・・・
欲しいものは欲しいですし、欲をなくすこと=欲しがらない人間になること
ばかりじゃないですよね。
欲をなくす=欲しいものは全て手に入れる・・・でもいいわけです。
仏教の修行僧がすべてを捨てるというのは
たぶん違うと思います。
お釈迦様もそんなことをしないさいとは教えていないです。
何事にも程度ってのはありますからね。
私は欲しい物があれば無理もしますし
得るためにあらゆる努力もします。
私が言いたかったのは、
「資格」というのはスタートラインであって
そこから先の精進こそが人の価値を決める
ということだったんですけど、脱線しましたね(笑)
カトリーヌ
2020/02/13 01:23:02
コメントへのリコメ、遅れちゃってゴメンナサイ!
失いたくないものって、なんでしょうね~。
愛情、自分の信念、誇り、美意識・・・無形の大切なものはたくさんあります。
それらをどう生活の中でとらえていくか、う~ん難しいです~。(苦)
逆にすべてを放棄すれば、完全に楽になる・・かも。
仏教の修行僧は、それを目指して頑張るわけだけど、それって想像を絶する厳しさ。
お釈迦さん以外には、出来ないのかもしれません。(汗)
ワタクシメは現実主義者なので、
そんな無理なことはせず、世俗の幸せをしっかりと追求するほうが
気持ちが楽になるような気がします。。。。(苦笑)
・とんとん・
2020/02/05 13:42:42
「今の自分が好き!」と思えないと
お金があっても、衣食住足りていても
心が足りないって感じで幸せ感が低いんじゃないかなあと思います。
今日より明日の自分をもっともっと好きになれるように暮らしたい・・・というのは
目標ではあるけれど、目標はあくまでも目標なのよね^^;