中越沖地震から13年
ここのところ感染症関連のニュースや水害のニュースで心が折れ、すっかりと
頭の中から抜け落ちていたこの日。
2007.7.16 a.m.10:13・・・。
既に13年となる。
義父を亡くしたのも、同じ年の6月のこと。
少し早めであ張るけれど、とお骨収めをしていた。
それが良かったかどうかは置いていくが、墓石は多少ずれたらしい。
旦那の出身村は、全国ニュースに乗る被害があった場所。
当日はすでにサザエも解禁日を過ぎていたため、海に潜っていた住人も
いたらしい。
にわかに海底の砂がモクモクと舞い上がって来たそうだ。 ご無事で何より。
海沿いの駅舎も倒壊し、太古から崩れたことなどない崖の斜面が崩れた。
もちろん、市街地も砂地の上に出来た街並みのため酷い有様で
今はかつて幼いころより知った町並みはない。
当時は随分なショックを受けたものだ。
市街地地帯は、私が幼いころから良く行き来した場所であったから。
他にも市内各地、地盤によるものか被害の大きさに随分な差が出た。
当時暮らしていた場所は幸いにもそれほどの被害もなかった。
場所によっては、電信柱の根元が液状化状態になっていたり家の外にいた私は
確かに近所喉のお宅かの食器棚が倒れた音を聞いていた。
ガッチャ~~ン><;
私もなぜ外にいたかと言えば、お子たちに留守番をさせ市内の図書館に向かおうと
一旦車に乗り込んでいた。
海の日であったため、お子たちは学校はお休み。
ダラダラと2階で過ごしていた。
私はと言えばそのまま出発せず、なぜか洗濯物の(マット)干し位置だったかが
異常に気になりエンジンを切って車外へ。
リビングの前の物干しのところで干し位置を直していた時だった。
ドン!ぐらり・・・だったかな^^; まぁ、衝撃が走ったわけですよ。
後で考えたら丁度屋根の下。 瓦が1枚も落ちてこなかったのが幸いだったかも。
その2階の部屋にいたお子たち。階下にいるよりもっと揺れたのだろうね。
次男は目の前に本棚が倒れてきたとのこと。慌てて2階に上がると、ベッドの中で
2人とも無事でいた。
本棚が確かに倒れ、据え付けのクローゼットの緩い磁力の扉がいくつか空いて
その角が当たったのか本棚の裏に穴が。
ん?今思えば、その扉のせいで本棚倒れた? クローゼットと並行する位置に
本棚は置かれていたんでねぇ。 今思えば可笑しな配置ではあったなw
部屋の作りゆえだったのだけれどもね。
後日、被災家屋の調査では半壊扱いになった。
玄関前の3段の階段にひびが入ったことからか、判定基準は知れないが
屋内はリビングの壁に「中越地震」の時に入ったヒビと並んで別方向に
新たなヒビが入ったくらい? まぁ、最終的には1階にいても風の日に
揺れが生じミシミシいうようになって、今引っ越したに至るのだけれど・・・。
う~ん、なんだか思い出したことをあれこれ連ねてしまったよ。
ちなみに「中越地震」と我が町の「中越沖地震」とは別物です。
Wikipedeiaなんかでは、最初に「長岡市」と隣町がトップに記載されてがいるが
長岡市は外れの大住地区の崖が崩れた程度だったと思う。
国道を塞いだので大事であった。
交通が遮断され、隣町から我が町へ帰宅者が苦労して帰りついたという話も。
おまけに地震の名称が酷似しているので、寄付金が「中越地震」へ流れた
などという話も。
その辺はまた人間の思惑ドロドロな話になりかねないので、ここまでにしとこ。
確かにその後の、町の給付金やら支援物資などなどでの表に出したくない話も
あったりするのだもの・・・。
そしてさらにその後、我が国はどこへ行っても「被災地」なことに
なってしまったね。
今回熊本は、熊本地震の傷も完全にも癒えぬうちの水害ではないか・・・。
しかもこの、世界的に蔓延している感染症のもとで。
他各地に、今回の雨は被害をもたらしている。
温暖化影響かねぇ。
原発全停止して、ガンガン燃やして電気作ってるしねぇ。
レジ袋削減だけじゃなくって、もっと大きなところで考えたらどうなんじゃろ?
私にはわかんないけどさ・・・。
改め、黙祷。
くるみ
2020/07/17 22:54:43
りんちゃんまたまた文がwですよ~
ほんとうに。
今はどこの場所も被災地になる可能性があるね。
地震も多いしここ数年は豪雨も。
日本以外でも気候による被害が多発してる。
昭和の頃ってレジ袋も無かったし、ペットボトルも無かったし。
便利で楽な方へと流れた結果なのかな。。
れのやん
2020/07/17 00:29:21
今日はあの地震の日でしたか。
その後も様々な地震・災害がありましたね。
どれも風化させてはいけませんが、
フォローしきれないというのも現実ですし。
早く日本全国が平和に暮らせるようになれば良いのですが・・・。