いつもこんなことばかり考えてる
心身の状態をバイオリズムで表すやつあるけど(疑似科学)、
もっとこう株価みたいに、いろんな要素が絡んで
不規則かつ大胆に上下するよね、体調って。
結局、LittleWhyRLくんヘッドとお別れしてさ。
なんかどうしても大きすぎてやましかったというか、
拉致してきた男児を部屋に隠してるみたいな罪悪感がしんどくて。
で、あんなに楽しみにしてたヘッドが肩透かしだったからか、
次に何を欲したらいいかわからなくなっちゃって。
欲の谷間ってやつです。ストップ安。虚無です虚無。
(欲-指向性を自我の中心に置いてなければそうはならないのかな?)
中性的な女の子ドールが欲しい気もするし、
でもやっぱり無性の子を望んでしまうし、
やふぉくとかで手の届くところにいるかわいい子に
フラフラしちゃいそうにもなるし、
でもどの子も購入ボタンを押すまでに至らない……みたいな。
で、よし、ちょっと一から考えようと。
わたしはなぜドールを欲するのか?
浅いところでは、単純に自分の稼いだお金で
自分が可愛い美しいと思った子を購うことが楽しいから?
(貯金を貯めるよりついパーッと使ってしまうのは
あるいは計画性の欠如なのかもしれず、
あるいは消極的な自殺なのかもしれない)
もう少し掘ると、人間の似姿であり人間を超えた造形物である
「人形」という存在に惹かれるから?
自分の美意識を確認したいから――いいぞ、そんな感じで掘っていけ。
友も(控えめに言って)少なく、恋人も配偶者もおらず、
また進んでそれらを欲しようともしない自分を
さみしい奴なのでは、と思うこともある。
生身の人間関係が怖いから、人形をその代替物として使っている?
だとしたら本当にさみしい奴だし、第一人形という存在に失礼だ。
でもたぶん、そうではない……?
人形はわたしの「お友達」ではない。
わたしからの欲。わたしからの視線。その反射。それだけ。
彼らはもの。わたしの所有物。
帰ってくるのは木霊でしかないのは分かっている。
ただ、わたしはその木霊をこそ、欲している。
前にも書いたような気がするな。
生まれて大人になるまでに、どこをどう間違ったのか
ねじれてこんがらがって、がっちがちに自縄自縛しちゃった自我が。
ほどいてくれと願っている。自由にしてくれと。
だから結び目に指をかける。ゆるむ隙間を探してなぞる。
少しでも楽になれる姿勢を探して、
一つ一つ、根気よくほどいていこうと決めた。
いつかもし、全部ほどける時が来たら、
その瞬間に終わりが来たなら最高だと思う。
ほどけきってしにたい。
……ちょっと観念的になりすぎた。
要するに、今のわたしにとっての使命は、
「自分」という最小にして最大の謎を解き明かすこと。
自分の自他境界、自意識、自我の結び目を探っていく作業が何より楽しいし、
自分という存在に納得できないまま死んだら後悔するだろうということ。
人形は、たぶんそのためのツールとしての役割がある。
有り体な言葉で言うなら、鏡?
エゴイストだなあと思うよ。我ながら。
そんで哲学者気取りかよ。
(哲学もどきをやるなら大学でちゃんと勉強しとくんだったな)
(そしたら先人たちという巨人の肩からスタートできたのに)
でも、やっと自分に向き合うことができるようになってきたから、
それがうれしくて仕方ないのもまた事実。
まあ、もっと歳を取ってほどけてきたら次のステージ(笑)というか、
配偶者とか考える余裕も出てくるんじゃないの? 知らんけど。
どのみち自分の子供を持つ気はないし、気楽なもんですよ。
……ところで、話がだいぶ大きくなっちゃったけど、
人形についてと偶像について、で
前からちょっと気になってることがあってさ。
わたし、アイドルってやつが苦手でさ。
生身の人間に夢を見て、偶像として消費する運動がさ。
(創作物のアイドルもそんなにもえないけど、
人間を相手にしたそれほど嫌悪はしない)
わたし女として生まれたから。
どうしても、「消費され」がちな性だから。
その呪いに散々苦しんできたから。
わたしはエゴイストだけども、
己のあるべき姿としての美意識はあって、
誰にも消費されたくないし、誰も消費したくない。
(そして、誰の所有物にもなりたくないし、誰も所有したくない)
そういう矜持が、最近やっと確立してきたわけです。
(コミュニケーションが畢竟、境界の侵犯であり暴力である以上
完全に清廉潔白であることが不可能なのは理解してます)
(たぶん無性のお人形を欲するのも、
男性性が内包する暴力性とか、
女性性に付きまといがちな愛玩/消費される立場とかが
うっとうしくなってきたところはあると思う)
で、思うよね。
わたしはお人形を「消費」しているのか?
まあモノだけど。人格とか、わたしの頭の中にしかないけど。
わたしが人格めいたものを勝手に見出してるだけだけど。
所有しないわけにはいかない存在だけど。
そういう、かすかな自己嫌悪?
わたしとお人形との、「誠実な」付き合い方ってなんだろうなって、
そういうことも最近はぼんやり考えてますよって話です。
お洋服や小物をたくさん買ってあげればいいのか?
作ってあげた方が「誠実」なのか?
写真を撮ってSNSに上げてあげないと可哀想なのか?
(まあでもいなくなってしまった子たちについては
もっと写真を撮っておけばよかったなと思う。
SNSに上げるかどうかは別として)
全部趣味なんだから自己満足なのにね。
自分を納得させるための「誠実」とか欺瞞だよね。
わたしがお人形を消費しているなら、
わたしはきっと自分自身を消費しているのだ。
わたしがわたしだけのアイドル。なんてな。
あー今ちょっと「べき思考」の強さとつながったね?
次のテーマは「あるべき自分」が強すぎることの弊害についてとかだね?
しかし徒然なるままに書き散らしてもう2000文字超えたので
今日はこのくらいにしといてやりますね。
楽しかったです。またやろう。