【お話】時のはざまの星月夜
グラスを受け取れば、そこは異界。時のはざまの星月夜。気がつけば、浴衣が星の光に染まっていた。
もらったステキコーデ♪:16
今年は、どこにも行けなかったので、
新調した浴衣も、ずっと引き出しの中だった。
なんだか悔しかったので、
時期外れだとは思ったけれど、浴衣をまとって、縁側に座っていた。
月光が、降り注ぐ。虫の声がひびく。
時が過ぎる。
花の香りも、風のにおいも、
土の色も、変わっていく。
おだやかなのか、さびしいのか。そう思ってぼんやりしていると、
グラスが差し出された。
花の香りのお酒が、輝いている。
受け取って、ひとくち飲んだとたん、
わたしは異界に足を踏み入れいていた。
めぐる風とゆらぐ光、
月と、星の歌声が、
手を取り合って、ひびく世界。
はるかに見えるは大地。
生命の光が、きらめいて、
ただきらめいて、流れてゆく。
ゆるやかに、おだやかに。
歌声がくるくると、渦を巻く。そうして全てが、ただ美しい。
『ここは、こぼれ落ちた時のはざま。』
そんな声がどこからかした。
『ただ、おだやかで美しい。そんな世界。
望むなら、ずっとここで過ごせるよ。』
やわらかくひびく、月光と星の光の音楽をながめ、
手を取り合って迎え入れてくれる、世界のやさしさをながめた。
それから、どうすれば帰れるの、と尋ねると、
『手にしている、グラスの中身を飲み干してごらん』
と返事があった。
花の香りのお酒は、まだグラスに残っている。
異界の美しさに少し、心がひかれたが、
ありがとう、どうか、あなたがたが、この先も、美しい祝福であるように。
そうつぶやいて、中身を飲み干した。
気が付けば、
元の縁側に座っていて、
ぼんやりと、月を見上げていた。
残らなくて良かったの? と尋ねる声がして、
そちらを見ると、訳知り顔の黒猫がいた。
立ち上がって、ピーピー音を立て始めたケトルの火を止める。
だって気になるでしょう、お湯をわかそうとして、ケトルを火にかけたばかりだったんだから。
火を止めないと、火事になっちゃうわ。
そう言うと、
ふん、と鼻を鳴らしてから、黒猫は去っていった。
一人になったので、お茶をいれ、ゆっくりと飲んだ。
当たり前の味だった。
口の中に残っていた、花の香りが消えてゆく。
戻ってきたなあ、と思った。なにもかも、元通り。そう思ったのだけれど、
目を落とせば、着ていた浴衣の色が、少しだけ変わっているのに気がついた。
紺色の布地に、ほんの少し。
ひとすじだけ、星の光が宿っていた。
* * *
異世界へ行ってしまう系の小説が流行っていますが、
日常を愛することもまた、大事だと思うんです。
そんな感じのお話。