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わたしはどうやったら幸福になれるのか? その12

人生

God helps those who help themselves.

天は自ら助くるものを助く。

受験の時に天神様に、商売繁盛を祈って稲荷神社に、火の用心で愛宕神社に、縁結びで出雲大社へと、日本ではお参りする。絵馬を奉納して、お賽銭をはずみ、御守りを買って、熱心に祈る。いくつかは願い事が叶って幸せな気持ちになり、いくつかは叶わないままがっかりする。

実は日本の神社は万能の神ではないからできることしか叶えてくれない。

天神様は菅原道真が祭神で学問の神様と言われる。私はなぜ菅原道真が学問の神様なのか学校で質問してひどく叱られたことがある。教科書では遣唐使の廃止くらいしか取り上げていないが、菅原家は学問の家系で「菅家廊下」という私塾を開いていて、廊下で講義を行なっていたくらい人が集まったことから学問の神様と言われている。

江戸時代、湯島天満宮の近くに昌平坂学問所があり、その流れから神田湯島周辺は大学が多く作られている。もちろん、湯島天満宮が学問の神様だから湯島へ行くと学問ができるということだ。

稲荷神社も稲荷へ行くと商売をするためのアドバイスがもらえたり、人と繋いでもらえる。出雲も頼りにすると人を紹介してもらえる。というのが神社の役割だった。

愛宕神社も、愛宕の天狗を頼れば火伏せをしてくれる。とのつながりだった。

つまり、よろず紹介所だったりコンサルタントだったり市場だったりと人と人をつなぐ場所が神社であって、神様はそのシンボルだった。

ってことを考えれば、有名スポットだからとお賽銭をぽんと投げてお願いするだけだと叶うわけがないよね。


#日記広場:人生

  • kiri

    kiri

    2020/11/19 15:07:40

    >すずきはなこさん
    こんにちは^^コメントありがとうございますm(__)m
    最初は市場が月に3回ほど(四日市とか十日市は4がつく日、10がつく日に市が開かれた)ことが始まりで、商売が始まると、人も物も集まってきてという発展だったみたいです。
    川中島で武田信玄と上杉謙信が何度も争ったのは、善光寺という東日本最大の商業中心地(今でいう商社レベル)があってどちらが抑えるかという戦争でしたし、織田信長が桶狭間の直前に熱田神宮に参っているのはなんらかの助力を乞いにいったと思われます。
    商人は寺社の庇護の元、移動自由だったから、情報を持っていたというのもありますね。

  • すずき はなこ

    すずき はなこ

    2020/11/18 15:20:30

    えーっ!
    そうだったんですかっ!

    それは、まったく知りませんでした。
    なるほどー。
    宗教の垣根を越えて、生活密着型の何でも屋だったんですね。

    あー・・・
    分かるような気がします。
    ありがとうございましたっ。
    勉強になりました。

  • kiri

    kiri

    2020/11/18 10:16:39

    >すずきはなこさん
    おはようございます^^コメントありがとうございますm(__)m
    日本の神社は戦国の頃には、商売を一手に引き受け、派遣業者みたいなことや銀行みたいな事をやっていました。戦があるときに傭兵を集めてくるとか、食糧を籠城する城へ入れるとか、旅人が同じ系列の神社なら為替を現金に換えられるとか。
    キリスト教の神様と同列ではなくて、ちょっと困ったら相談に行けるところが神社だったみたいです^^

  • すずき はなこ

    すずき はなこ

    2020/11/17 20:22:41

    Kiriさん、こんばんは。
    いつも、興味深いお話をしてくださって、ありがとうございます。
    なるほど、日本には八百万の神様がいらっしゃるそうですが、
    分業制度だと、納得がいきますね。