ぐも

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ぐもんち

言葉も鏡

日記

人様も己の鏡という考え方もあると思うんですよ

オイラの中にある考え方の側面ではなく
先人の知恵として、自分1人なら拒否したい意味を持ってても
現実や社会が先ず、この世にあって
それが空気や空間と溶け込んで、立体的になってる中に
自分が生まれてくるわけだから

ただ
逆さまな姿や
鏡に写さないでいると見慣れたり、光の屈折や目の補正で
普遍的な形に見えるものが
鏡越しだとどうにも歪に見えてくるように

鏡と思って見ることにも
多様な意味が生まれてくる

才能もまた
自分という個性、個体を表す
他の誰の事も映り込まない独自のものと
思われそうな世界だけど

生かされて認められるとしたら
やっぱり誰か先人が作ったり
本当は乏しかった世界を
何度も耕し、豊かに育んでくれるような誰かの
手とか知恵とか根性とか感情があって大きくなってて

なかなか認められない世界も今
その中に身を置く人が耕している真っ最中だったりするから

かなりの割合で
誰かの目が自分を見ていたり
何かに映されて
自分が思う以外の姿があるのが自分自身だと
認めざるを得ない

気にする気に病む
必要はなく
ただあるがままを受け入れるように
見えにくく
認めにくくても

ものすごく大きくて、死角も多く隠れがちなものもあって
それが世界であることも

その世界より小さいことは間違いなくとも
他の何人たりとも入ってこられない境界に覆われた
それゆえに誰にも助け救うことが叶わない形ない魂が入っている
それが自分というものだということも

ただそうであるんだということを
真に認めているかなぁ?と考えるけど
答え合わせはない
きっと正解があるけど
これが正解だと断言するものはない

言葉に置き換えると歪に見えたりしっくりこなかったり
でもその言葉が曲がってるんじゃなくて
まっすぐ見てるよりも
ちょっとだけ違うものになる

In other words
言い換えれば
説明を色々してみても
長さでも解らない
高尚でも伝わらない
端的に言っても共有できない
言い換えても、間違ってないのにピッタリにならない

感動感情はそういう深い届かないところから湧いてくるのかもしれない

自分の口から出ていった言葉にも

深い考えや意味がなかったつもりの言葉で
他人を傷付けてしまったり
誠心誠意伝えようとしたはずが
相手が聞く耳も持たず、真剣さに嘲笑で弾き返してしまったり

自分の意など
ちっぽけに思うようなことがおそらくあって

しかし、意が小さいのではなく
誰も一人一人が小さい
でもとても奥が深く出来ているのに
外観は深いものに見えないだけだとしたら

意思や意向は誰からも評価を受けてもいない
その姿の小ささだけで、深さを認められない理由は
認めようにも、見えないし、代わって体感することも出来ない
誰もそれを知ることが出来ないだけなんだ


だけど暗闇に包まれることが
不安になってしまった時には
奥の奥の深いところから
知って欲しくなり、認めて欲しくなり、解って欲しくなる
あるがままでいいからこそ
奥の方までも
あるがままだと理解されたくなる

誰しもが届かない場所には入れないから
無理矢理誰かを入れるのではないとなったら
出ていくしかない
魂から心から、外側へ出せる感情は
言葉という実体を作るしかなくて
いびつでもいいから
他の人とどう違うか判りにくい似たものでもいいから
言葉を使うしかない

言葉には使い方もある
繋ぎ方もある
相手が聞きやすくなるリズムもある
歌のような踊りのような表現もある
完成された芸術品のような美しい言葉もある

それらが理想的だからって
自分にピッタリではないなら
残念すぎる使い方で
自分の為だけの言葉を選ぶ必要性もある


ちゃんと自分の身だしなみに
映す鏡になる、歪みの少ない鏡
それが欲しい気がしたんですよ

けど
結構解って欲しいとかじゃないなぁと思ったり
報われない気はするけど
報酬が欲しかったわけじゃないなぁと思ったり
してるなうなんですよw

報いが欲しいってなんだろか

自分が言おうとすることが伝わらない壁
同性愛者は、異性愛の報いと同じものが欲しいだけなのに
異性愛じゃないだけで報われないとかおかしくね?とか
イジメの被害者は助けて欲しいだけなのに
逃げろとか、仕返しはダメとか、何か違くね?とか

そんなん頼んでもねーよってことも
多々ない?って思うのですよ


自立することの解釈について
人を助けるだけの力や行動が伴うことだけでなく
助けが必要なら
はっきり言えること
というのがあるんだけど

特にこのコロナ禍においてこそ
また、被災の現場などで
言いにくさ満載な場面もよく聞くので

オイラは
何か助けが欲しいのかもしれないとも自分で自分を
見直すんだけど
助けとか救いとかなんじゃないなぁ
あえて言うなら
報いなんだけど

オイラが何か総取りみたいな結果とか
誰かに報復とかじゃなくて

オイラが悪ければオイラにも相応の
でもどう考えてもこいつのやってること
法律に違反するよ?みたいな
例えば、ネット上で事実に基づかないような噂を匂わせ
誰のこと?
何のこと?と
食いつきそうな人がいると個別メッセージや直接会った時に
「実は~」「本当は~」「内緒なんだけど~」って言いふらす

言いふらす時点で、内緒ちゃうやん
実の話なら堂々と言えよ
とか
言えない冷静じゃない大人になってない人が結構いたりで。

そんな時
言う言葉もその人の鏡だし
聞いたり、情報に踊らされる、振り回されるタイプの信じやすいワードも
その人の鏡なのかなって

特殊詐欺に注意する為に
こんなワードを信じちゃダメとかやってるけど
多分そこじゃないな
騙されるという鏡を見て
我が身を映し込んで見られない人になること
騙されるとしたら、こういう事かな…?と想像もせず
あるがままの世界を認めない人になること

年寄りじゃないから
お金はないから
自分の身近な友人や同僚がイジメにあったり
悪い噂流された場合どうするか
家族がセクハラやストーカーに悩んでも
「思い過ごし」とか「気にするな」って言葉で終わったり

そんな30代40代も多いのに
年寄りがやりそうな事だからって「老害」などと言って
責任転嫁

そういうの、どうかなぁ
そう言ってる人にも、そういう浅はかさへの
報いが欲しい
というのは

不幸になれってことじゃなくて

ああ、自分はこういう発想だった
こんな言い方して、浅はかだったな。と
その姿がちゃんと映る鏡を見て
出来事や人からの言葉や自分自身の体験で
正しく知って欲しい
それが報いってもんなんじゃないか?と思うんです

良い仕事をして、良い給与を貰うとしたら
良い仕事したからだと
正しい認識の結果で
給与はその後についてくることじゃないかと


その報いがない不満を持っている自分は
オイラなりに分かってる

でも努力にも、落ち度にも、反省の有無にも
報われて欲しい
難しいことなんだけど

鏡に映して
受け入れたいものだなぁ…と。