もえーん

命日

日記

12月23日は母の命日。


昨日は仕事で墓参りをしている暇などなかったけれど、本日夕方に少し時間が取れたので、子供連れ&父を呼んで墓参りに行ってきました。お墓は実家のすぐそばで、私の家からも車に乗れば20分そこそこ。近くて楽です。

すっかり日も落ちてからの墓参りでしたが、まあ出来ただけ良いということで。

母は亡くなって、まる三年。随分と前の様な、つい最近の様な。今でも母がいなくなった実感はないのですが、一方で母がいるという感覚もない。たぶん父が亡くなっても、同じ感覚でしょう。

私にとって親とはなんだろうかと何時も思ってしまうのですが、よく分かりません。いまだに母が亡くなってから泣いたこともない。寂しいと思ったことも、たぶんない。悲しいと思ったことも、たぶんない。喪失感はあるにはあるけれど、悲しみや寂しさと言ったネガティブなものではなく、単に「ああ、いないのか」ということ。

自分は人でなしなのでしょう。でも、誰にも思い入れを持つことがあまりできない。私は、私がこの世界の中に存在して、世界の中で他の存在と対峙しているという実感が、全然ない。今日眠って、あした目が覚めたら嫁も子供もいなくなっていても、そういうものかと過ごしてしまいそうな気がします。

私は生きているんでしょうか。私は、本当にここに存在しているのでしょうか。なにか不安になるような、どうでもいいような、よく分からない。そんなことが、もう30年も続いている。もうそろそろ解放して欲しい。

  • もえーん

    もえーん

    2020/12/26 01:19:55

    それで、そんな感じで自分の在り様があやふやになっていくと、その自分と他人の関係性も微妙な感じが色々出てくるというか。。。

  • もえーん

    もえーん

    2020/12/26 00:10:20

    いえ、具体的に何があったという事ではありません。ただ高校生くらいの頃から(だから正確には30年より少し前ですが)、自分が今ここにいる、私の体が私である、存在として自らが確定的にここに在る、という事が良く分からなくなって、程度の多少と言うか浮き沈みはありつつも、その違和感をずっと抱えて生きている気がする、ということです。何と言うか、空気が固いというか、何もない空間に質量と言うか圧力と言うか、空間という型枠に自分が押し込められて、緩やかに潰されるような息苦しさもあったように思いますが、もうずっと前からいい加減慣れたというか、さほど意識しなくなりましたけどね。

  • るん☆

    るん☆

    2020/12/25 20:12:26

    30年前に何か起きたんでしょうか・・・