聖典研究・善根功徳

ディオ

ダンマパダ第6章82節 深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

主の祈り

30代以上

天におられるわたしたちの父よ


御名が聖とされますように

御国が来ますように

御心が天に行われるとおり

地にも行われますように

わたしたちの日ごとの

今日もお与えください

わたしたちの罪をお赦しください

わたしたちも人を赦します

わたしたちを誘惑におちいらせず

悪からお救いください

国と力と栄光は永遠にあなたのものです 

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/16 23:57:47

    @茶子さん、コメント(*´∀人)ありがとうございます♪

    いえいえ、自分は幼いころから劣等感が強く知能や運動能力で優れているところもありません。

    コミュニケーション能力も低い方なので自然と一人で思想する時間が増えたのかもしれません。

    性格も忍耐強くないことを自覚しております。人間は自然体で生きるのが最善なのかもしれません。

    不条理主義。そうですね、哲学的というかとても意味深い哲学用語で考えさせられます。

    地味な教科ですが公民の倫理の講義を時々拝聴しております。今日は実存主義の哲学思想でした。

    10代、20代のころは人生と世界はなんて不協和音に満ちているんだとしばしば感じておりました。

    旧約聖書の創世記でアブラハムが神にささげるために息子のイサクを殺そうとし、神に止められ

    信仰を深めるエピソードがまさに不条理であると指摘したキルケゴールには同意します。

    倫理に背き、恐怖心を抱かせるそのような物語になにが神の言葉だと憤る人たちの気持ちも

    自分にはよく理解できます。しかしそれでも自分的には無神論を唱えたニーチェやサルトルには

    同意できません。宗教はアヘンであると言った唯物論のマルクスも。

    実存主義者が言うように人間にとって世界の意味を見出すことは本当に不可能な事なのでしょうか。

    不条理主義(実存主義)を受け入れて生きることは悪魔に憑依されて生きることだと考えたキルケゴールは

    自分的には正しかったように感じます。

    つい小難しい思想哲学について書いてしまいました。すみません。









  • 茶子

    茶子

    2021/10/15 11:18:37

    デイオさんの今まで生きてこられら時間、なかなか厳しい時間だったのですね。
    他人に相談しにくいだろうし、特に多感な若い時、助けられたくて、勇気を出して相談できたとしても、デイオさんの抱えていた問題、心の様を理解して助けてくれる人に、ちゃんと出会える可能性は奇跡的だし。
    おそらく、解決しようのないことだったり、不条理な状況、運命と、ひとりで耐えてこられたはず。
    他の人なら、寂しさ、憂鬱、そして疲弊して、気力がなくなってしまいそうな。
    デイオさんが神様に出会って救われたのだろうか。神様が強くしてくださったのだろうか。
    私はそう思えない。
    デイオさんが忍耐強く、心も強く折れずに日々送ってこられたからなのでしょうね。
    キリスト教以外、本も沢山読まれているみたいで。
    知は人を助けるのですね。
    デイオさん見ていて、そう感じました。

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/11 23:19:40

    @茶子さん、お気遣いと美しい詩のご紹介(*´∀人)ありがとうございます♪

    人間は自分が蒔いた種を刈り取るときが来ます。善因楽果か悪因苦果かは自分の業

    しだいなのかもしれません。自己責任は耳が痛いですがためになる真理の言葉のように感じます。

    そうですね、御像やメダイは魔除けのような効果があるのかなと思ったりします。

    悪魔に欺かれていたことに気づけたりすることも御神徳の御加護なのかもと感謝しております。

    大切なのは特定の宗教ではなく心のあり方ですからね。快楽主義は虚しさしか残りません。

    あまり日本人にはおられませんが海外の人で苦行したり厳格だったりするのを見ると

    心の平和を見失い道を誤ることになるのではと感じそうならないように注意しております。

    いえいえ、実は父の顔を見た記憶は小学生になるときまでほとんどありませんでした。

    結局2008年に74歳で肺炎で死亡したことは確認しました。

    弔問はしなかったですが妹と養子との交流があったようでそのどちらかが喪主をしたのかもです。

    母と離婚した後に養子がいた事実というのも死後、役所で除籍謄本をとった時にたまたま知りました。

    亡父は再婚して自分が生まれたのですが先妻との間に長男と長女の子供が2人いたみたいでした。

    異母兄姉に会いたいと思ったことはないので会ったこともありませんしこれからも会うことはないです。

    父(長男)の弟2人(次男と三男)つまり叔父に至ってもまったく面識がなかったですが

    それはそれでよかったのだと今になって思えば神の配慮を感じております。運命学のような

    人間関係の法則を学んだのですが、どんな人にとっても父方の伯父(叔父)それと

    母方の伯母(叔母)というのは性格の相性が最悪で災難が降りかかってきやすくなるみたいです。

    母の方も母子健康手帳に自分の息子の名前も書かなかったようなひどい人間でしたし今でもそうです。

    母方も父方と同じく悪い血統でしたのでそのことで今でも苦しんでおります。

    複雑な事情があり少し長くなってしまいますのでまた次回書かせていただきますね。

    茶子さんに聖霊の恵みと御加護がありますように。





  • 茶子

    茶子

    2021/10/11 16:47:41

    デイオさん、お誕生日だったのですね!
    遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。
    ○○歳、この一年、デイオさんに幸せな時がいっぱいあります様に。
    マリア様、カトリックはマリア様を大切にしてらっしゃいますねー。ロザリオ、メダイもマリア様のお姿がある物が多いし、カトリック教会の敷地にマリア様を見かける事が多いです。マリア様が母だからか「無償の愛」を感じて心が洗われます。
    今は誰かのもとにいらっしゃる2人のマリア様もデイオさんの気持が届いて喜んでいらっしゃるわ。
    デイオさん、6歳か7歳。きっと好きであったお父様の行動、
    すごくショックだったでしょうね。怖かったでしょうね。
    今の穏やかで温厚なデイオさんから、そんな体験があったなんて想像できませんでした。暖かいご両親のもとで自由に大切に育てられた雰囲気だったからです。

    「足跡」という、クリスチャンの詩を思い出しました。作者不明だそうです。

     ある晩、男が夢をみていた。
     夢の中で、彼は神様と並んで 浜辺を歩いていた。
     暗い夜空には、彼のこれまでの人生が 走馬燈のごとくに映し出されていた。
     
     どの光景にも、砂の上には ふたりの足跡が残されていた。
     ひとつは彼のもの、もうひとつは神様のものであった。
     彼は砂の上に目を留めた。今まで2つだった足跡が、ひとつの足跡しかないところがあったからだ。
     それは彼の人生の中で、辛く悲しい時だった。

     「神様、あなたは私のそばにいつもいて、一緒に語り、歩んで行って下さると約束しくださった。それなのに何故、私の一番辛く悲しい時に、私を一人にして、助けはくださらなかったのですか?」
     神様は言われた。
    「私の大切な子よ。私はあなたを決して見捨てたりはしない。ましてや貴方の苦しみや試練の時に。
     私は貴方を愛している。
     足跡がひとつだったのは、その時、私は、歩けなくなった貴方を抱きかかえ、ともに歩いていたんだよ」

     神様はデイオさんとずっとずっと前から、一緒だったのだと思いました。

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/09 19:59:44

    @茶子さん、コメントありがとうございます(*^▽^*)

    今年も何とか誕生日を迎えることができ神に感謝しております。

    昨日はオリヴィア・ハッセーさん主演のマザー・テレサを観て今までの人生を振り返っておりました。

    カトリック教会に通っていた時にロザリオの祈りをしていたのですが、聖マリア信仰を通して

    命を全うすることの大切さを知ったような感じがします。21年前に聖マリア像を2体購入したのですが

    チャリティーで寄付して手離した時に不可思議な神秘的な夢を見てしまい、手元に置いておくべきだった

    のではと自責の念に思い悩み3体目を購入したのですが、今は自分の机上のノートパソコンの横に大切に

    置いてあります。マザー・テレサに対する批判もいろいろあるみたいで調べましたがどれも些細な事で

    取るに足らないことです。そもそも神の愛と人間の愛はかなり異なります。人間は限界があるので

    無駄な欲望を慎み老子のように足ることを知る必要があるのだと思います。孤独感に悩まされながらも

    神の愛を実践したマザーを見て、若かった自分はブッダの慈悲の心も感じたりしておりました。

    俗世間で呼ばれる陰謀論・都市伝説はありますが真偽を確認するのは誰にとっても難しいと思われます。

    しかし個人的に興味がある分野なので自分なりに研究してきましたが実は奥が深い世界なのです。

    2016年頃でしたがあまりにも衝撃的な情報で高熱がでたこともありました。

    お金は生きていくうえで必要ですが本当に厄介なものだと知ったのは16歳の時に両親が経済問題で

    離婚したのがきっかけでした。生物学上は父と呼ぶのでしょうが息子をクソガキと罵っていた

    クソオヤジですが自分が6歳か7歳の頃浴室で虐待を受け溺死させられそうになりました。

    暴力団関係者でもあったようで借金を繰り返していたとんでもなく罪深いくずな人間だったのです。

    茶子さんは学生時代にいろいろと難しいことがあり苦労されたのですね。

    自分的にはシェイクスピアの作品よりダンテの神曲とかゲーテのファウスト、あとデカメロンとかが

    印象的な文学書だったかな。ちょっと長くなったのでまた続きは後日に書きます。

  • 茶子

    茶子

    2021/10/08 01:12:00

     マザーテレサ、私もすごく尊敬しています。
     シスターなのに教会飛び出して、沢山の人を看護して。「救いたい」一心の行動、勇気、協力者を得て目的を達成されていく様は、そうとう聡明で愛に満ち溢れた方だったんだと、彼女こそ神様みたい(o^―^o)
     彼女は望んでたわけでなかったけれど、冷ややかに遠目で見ていたカトリックも、最後には彼女の功績認めざるをえなかった。死後、カトリックの聖人になられたんですね。生きてらっしゃる時に協力が得られたら彼女の目的も、より大きなものになってたかも。
     日本に来られた時、集まった多くのマスコミが彼女を誉めたたえ「私達に何か協力できる事はありますか?」と聞いた際、
    「あなた達は日本のなかにいる、恵まれない人々を助けてあげて下さい」
    と、毅然とおっしゃったらしいと。強くて素敵ー、ますますファンになりました。
     マザーテレサと聞いて、私も思いが蘇りました。

     神の真理と悪魔の嘘を感じ分ける事が神父様や牧師さんでも難しいのですね。
     金銭の欲は怖いですよねー。ニュースで「たったこれだけのお金の為に?」他人を負傷させたり殺人事件にまでなってたり。強盗や詐欺。はたまた親族間の遺産争い。
     日常でも、金銭って、しがらみが発生している気がする。
     子供の時が幸せだったのは、礼儀ばかり考えなくても許されるのと、お金の事もあまり考えないで良かったから楽だったのかなーと、今ふと思ってしまいました。
     デイオさんは幼稚園でイエス様を知り、19歳で聖書読み終えられたのか・・。
     私の19歳は・・。学校でドヨーンとしてました。
     教授によると「英米文学は聖書と切り離せない」と。授業で取り扱われる本の内容は、けっこう考えさせられるものが多くてー。「人間のドロドロした感情」「ずるい心」「物欲」で織りなされる人間ドラマが多かったのです。課題図書で読んだ本、カフカの「蜘蛛」も寂しい気持ちになった。
     お蔭で、なんか考えさせられる時間が多い学生生活でした。
     社会人になり、日本人も欧米化したからか、他i人の中にその頃読んだ本がチラッと見える事があって、
    違和感がなくなりました。私も大人になったなー(笑)
     夜分に遅くタラタラと書いてしまいました。
     そして、ありがとうございます。じゃ、おやすみなさい。

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/08 00:19:29

    @茶子さん、コメント(*´∀人)ありがとうございます♪

    さきほどちょうど茶子さんが0時前に来られた後に自分がコメントの投稿ボタンを押したみたい

    です。こういった不可思議なことってときどきありますよね。

    なるほど祈りの効果についてですね。今日はもうコメントしてしまったので後日書きますね。

  • 茶子

    茶子

    2021/10/08 00:03:55

    デイオさん、祈り、願いはかなえられましたか?
    以前「神様に祈ったら必ずかなえて下さるから祈って下さい」
    と言って下さった方がいて、「ここぞ」という時に祈るのですが、
    私の場合、全てかなわなかったです。ショボーン(T_T)

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/08 00:01:17

    @茶子さん、コメントありがとうございます(*^▽^*)

    マラキ書の十分の一のささげ物は、創世記14章17節から24節のアブラハムを祝福した

    エルサレムの王様メルキゼデクにアブラハムが財産の十分の一を贈ったエピソードに由来している

    ようです。神学を学んだ神父や牧師を含め多くの信仰のある人にとって神の真理と悪魔の嘘を

    感じ分けることは運命的な難しい修行のように感じます。テモテへの手紙1の6章10節に

    "金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい

    苦しみで突き刺された者もいます。”と宣教師パウロが書いております。

    パッションはバッハのマタイ受難曲を連想させるイエスの十字架のエピソードに関する作品でしたよね。

    覚えております。ジーザス・クライスト・スーパースターとかブラザーサン・シスタームーンも

    一応観ましたよ。そういえばマザー・テレサの本は読みましたが映画はまだ観ていなかったので

    近日中に観るかもです。茶子さんのおかげで懐かしいマザー・テレサのことを思い出しました。

    ありがとうございます。

    聖書は古代のシュメールからエジプト・ギリシアの神話や伝承をユダヤ教徒が再構成したような

    考古学の歴史書ですから、文学書みたいに感じることも少なくないですよね。

    聖書の理解を深めることのできるよい事典がありますのでまた後日コメントします。

    教会にいると正統とか異端とかすぐに二元論の思考になりがちな信徒がいたので、

    そういった偏った人たちを避けて図書館や自分の部屋でいろいろと研究してきました。

    茶子さんのおっしゃるとおり沈黙して一人でお祈りしたほうが聖霊に守護されやすいかと。

    そういえば自分も3歳ごろから5歳まで日本聖公会が経営している聖ヤコブ幼稚園に通っておりました。

    うわー、今40年ぶりに聖堂と園舎の写真をホームページで見ました。懐かしすぎます。

    茶子さんのおかげで過ぎ去った古き良き記憶を思い起こすことができましたよ。主なる神に感謝です。

    日本の歴史やコロナについてはいろいろとまた後日コメントしますね。








  • 茶子

    茶子

    2021/10/07 02:05:48

     本当だわ。精霊っていったら、お花の妖精とか浮かんでしまいますね。神様が白い目で見てるかも。

     ↓確かに。プロテスタントの教会では、大なり小なり、すごく人当たりが良くって「入信しないと悪いかな」と思ってしまうくらい優しく接してくださいました。宗教っていうより「憩いや安らぎの暖かい場所」って思えるくらい楽しい教会が多かったです。
     でも、やはり経済的に。確か「マラキ書」に書いてあるんですかね。全収入の10パーセントの献金。教会のあちこちで、その文を見かけたから。大体の教会がそれを守ってました。10%献金以外にも何かと協力金など義務もあるみたいで。宗教信じてしまったら「苦しくても払いそう」で、踏み出せませんでした。
     カトリックの方は、人間関係が一般世間と同じような。でも、信心されているためか真面目。一度信徒になると厳しく言動をチェックされそうで、かえって俗世より厳しく感じました。
     カトリックのミサや講座を数回聴いた事あります。聖書の解釈が神父様やシスターによって違うんだなって時がありました。まあ、自分で読んでたら、文面が解釈どころか??みたいな箇所が多いのだけど。
     きっと何度か読むと、言葉の奥が見えてくるんでしょうね。
     そうだ、「パッション」っていうキリストの映画、衝撃でした。
     私は幼稚園がプロテスタントだったので、古い主の祈りが慣れていて、まだそれで祈ってしまってます。
     聖書が解れば、この祈りも、もっと味わい深い物になるんだろうな。いつかそうなる時を楽しみに待っています。
     一人でお祈りするのが、何も邪魔されずに、神様とつながれますね。
     テレビで長崎の隠れキリシタンの子孫の方が、その歴史を話されてました。(深い信心に感動しました)また)船の上で祈ってらしてたのが映った時、神神しく見えました。
     カトリックの和田神父様が「コロナは一瞬で世界中に広まったね。カトリックもコロナの様に一瞬で広まって欲しいね」と冗談でおっしゃったけど、本当にそうなれば、平和になりそう。
     深夜に失礼しました。おやすみなさい。

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/06 17:06:17

    @茶子さん、コメント(*´∀人)ありがとうございます♪

    神の霊は日本語の漢字だと精霊ではなく聖霊になります。

    教会は人間関係の葛藤が起きやすい場所なのでそういった煩わしさを避けるために

    そこから離れて今に至っております。カトリックは信徒の信条が厳しく、離婚したり

    人工妊娠中絶を強要させたら破門になります。自分はそのような教義に反する倫理的な罪は

    犯していないので名前だけ在籍しておる状態です。プロテスタントの場合は経済的に難しい

    ところがあり、一定期間献金をしないと自動的に除籍になる教会が多いみたいです。

    イエスは”自分の部屋で祈りなさい”と言ったように真理を探究するときは神殿以外の場所を

    重視していたのかもと解釈しております。福音書の聖句はどこから読んでも大丈夫です。

    茶子さんの信仰心が育つようにお祈りいたします。

  • 茶子

    茶子

    2021/10/04 22:58:13

    デイオさん
     こんなに早く、丁寧なお返事頂けてありがとうございます。
     2か月で読み切れたなんてすごいです。しかも、19歳の時に。悩みがある時に、あれだけのものを読める力はないだろうから、きっとデイオさんは、神様か精霊に呼ばれたんですね。
     昨日、日記少し読ませていただきましたが、教会に長く行かれてなくても、心に聖書をかかえていらっしゃるんだと感じました。
     私も、「幸せな気分で毎日生きている」という洗礼を受けた知人たちの様になりたく、カトリックやプロテスタントやキリスト集会などのミサや礼拝に参加してみました。教会によって「交流に重きを置いていらっしゃる教会」「信者同士一定の距離感を保ち聖書中心の教会」「人間は神様と違うから弱いので、弱い人間が集まるから色々ある。教会も小さな社会だからと、なかなか入ったらストレスがたまりそうに思えた教会」・・。「世界中にあんなに沢山の信者がいるキリスト教の魅力を知りたい」と訪れた教会ですが、教会を訪れる度、探求心が薄れてきてました。
     箴言だけ、よく読んでました。
     19歳で聖書全部読まれたデイオさん、すごいなー。
     デイオさんが言って下さってる様に、焦らずじっくり1ページずつ、心で読んでみます。
     マルコかマタイから読んでみます。
     今日はありがとうございました。また、時々来させて頂きますが、宜しくお願い致します。

  • ディオ

    ディオ

    2021/10/04 22:09:37

    @茶子さん、とても良いご質問(*´∀人)ありがとうございます♪

    19歳の時に聖書を読みたくなり近所のカトリック教会を訪問して主任司祭の神父から

    貸してもらいました。とにかく早く読んで返そうと思い2か月で創世記から黙示録まで通読したの

    ですが、1回読んだだけでは内容を理解できたはずもなく時間をかけて繰り返し読もうと決めて

    もう24年の年月がたちました。教会で洗礼は受けましたが今ではもう長い間離れております。

    聖書はイスラエル人・ユダヤ人の歴史書になります。日本人とっては日本書紀のような感じです。

    アダムからイエスまでの約4000年の物語になります。たしかに読解するのは難しいですよね。

    数学や生物学・化学のテキストのように知能だけ使って読むのではなく魂を使って感じ取りますから。

    訳はいろいろありますが自分の性格に合う気に入ったのを選んで、読みたい時に1章ごとか1ページごと

    読み進めていけばいいかもですね。自分的にはヘブライゴ聖書(旧約聖書)をよく読みますが

    解釈が難しいので新約聖書の聖句だけ読んでも全然だいじょうぶだと思います。

    自宅の近所にキリスト福音集会がありグループで聖書の研究をされている方がおりますが、

    自分の性格的には一人で研究する方が好きなので参加したことはないです。社交的な人には

    いいかもですが。奥深い聖書について書くときりがないのでこのあたりにしますがどうか

    茶子さんに聖霊のご加護がありますようにお祈りいたします。









  • 茶子

    茶子

    2021/10/04 09:22:45

    日記広場から来ました。
    デイオさんはキリスト教信者なのですか?
    友人のキリスト教信者の方は聖書を読んでイエス様に感動し人生変わったそうです。私も感動したいと聖書にチャレンジしているのですが、話の内容が難しいというか物語の様でなかなか進めれません。
     2,3話から面白くなるドラマじゃないですが、何かに感動すると、きっと皆さんの様に一気に読み進められるのでしょうが・・。もし良ければ、デイオさんのおすすめの読み方を教えていただけませんか。