本日のキラキラ

タウン

仮想タウンでキラキラを集めました。

2021/12/07
キラキラ
集めた場所 個数
ニコット山 4
ショップ広場 5

9個。

  • 海月 玲二楽

    海月 玲二楽

    2021/12/08 13:31:48

    今日は、全体的な会議が二つあり、とりあえず、どちらも出てくる予定です。どちらも、いるだけとなりそうですが。。。。。。日本人の文化人類学では、日本では、様々なものごとを明確に言語化することを避けながら、なんとなく自然にできていく流れを重視する。そして、会議が開催される頃には、すでに、決まっていて、会議は報告の場にすぎない!って、もう、昭和の末年から言われています。すぐに、

    だからダメなんだ!

    っていうのも違うと最近の文化人類学では言います。多分、古代から積み重ねられてきた文化の知恵というようなものが入っているというのが最近の比較文化などの見解のようです。


    古代、日本列島は、大陸から、逃げてきたり(その道は、北から南から、真ん中から!って色々あったことがわかってきています)、目端の利く、軍団の小隊長クラスが、100人も連れて、大陸の進んだ武器を持ってくれば、漁労、採集や、縄文的な焼畑的な農業で、共同体を平和に営んできた人々は簡単に服従させられただろうと言われてきましたが、最近では、弥生式の農業(灌漑を伴う水稲米栽培)は、紀元前10世紀には、日本に入ってきて、ゆっくりと広がったというのがかなりの説得力があるようです。

    つまり、8000以上年も前から、何度も、大陸側から、北から、南から、西からど真ん中に、渡ってきて、縄文的共同体を営んでいた日本列島の人たちは、新たな弥生式の農耕技術や進んだ武器を持った連中とも、ゆっくり、トータリーには平和的に馴染んでいったらしいそれも、紀元前1000年から、1000年程度をかけて、ゆっくりと!ということです。(もちろん、局地的には戦闘がなかったとは言いませんが、縄文的な人々は山側の高燥地(古代では、病気や食料保存などに適している)、新たな人々は、河口近くの扇状地など、棲み分けながら、だんだん交易したりしていったというようなことです。)

    様々な違う文化、習俗を元々持った集団が折り合いながら平和に暮らしていく知恵を集めていったのが、この国の意思決定の方法に現れているようだというわけ!


    日本列島、3000年の歴史の重みを感じますね!


    ディベートがどうのとかなんだかんだとかいう最近のうるさ方々の意見はこの国では主流にはなりませんが、そんなことはもう、3000年も昔に済ませてしまった国なんです。たかだか200〜300年程度ではね!