ジュンチャンと世界を巡る 第79回はミクロネシア
今回はミクロネシアを取り上げますが、この地域は日本の委任統治領だったことがあります。
ミクロネシアはメラネシア、ポリネシアという名称とともに、オセアニアを三分する地域名で、西太平洋のうち、赤道以北の部分に散在する島々のことです。
海域は500万平方キロメートルに及びますが、陸地総面積はわずか3667平方キロメートルにすぎません。
ミクロネシアとは「小さい島々」という意味で、1831年ドムニ・デ・リエンツィがフランス地理学協会に提案した名称で、地理的には、大きくカロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島の三つの島嶼(とうしょ)群に分けられます。
まずカロリン諸島、ここには963の島嶼があり、陸地面積2150平方キロメートル、このうちコスラエ、ポナペ、チューク(トラック)、ヤップの各島群はミクロネシア連邦(1979自治政府発足、1986独立)を構成しています。
パラオ地区はパラオ(ベラウ)共和国(1981自治政府発足、1994独立)となっています。
次にマーシャル諸島ですが、ここは島嶼の数では約900もありながら陸地面積は181平方キロメートルにすぎないのですが、この諸島も独立(1986)してマーシャル諸島共和国となっています。
最後にマリアナ諸島ですが、ここはグアム島を含む主要な15の島数で合計1020平方キロメートルあり、グアム(アメリカ合衆国の準州)を除く各島は、北マリアナ連邦(1978自治政府発足)として独立(アメリカ自治領化)しました。
マーシャル諸島に続くギルバート諸島はオーシャン島を含めて17島、295平方キロメートルあり、これはポリネシア側のフェニックス諸島、ライン諸島などとともにキリバスとして独立(1979)しました。
ほぼ赤道直下に位置するナウル島は21平方キロメートルの孤島で、ナウル共和国となっています。
ミクロネシアには国だけで、ミクロネシア連邦、パラオ共和国、マーシャル諸島共和国、北マリアナ連邦、キリバス、ナウル共和国の6か国があります。
この地域は全般的に17世紀初頭スペインの航海者たちがメキシコとフィリピンの間を往復していてここに到達、その後ドイツの植民地時代が続きました。
第一次世界大戦後は日本の委任統治領となっていましたが、第二次世界大戦では日本とアメリカの間の激戦地となり、戦後アメリカの信託統治領となっていたという歴史をもっています。
住民はミクロネシア人とよばれていますが、形質の異同とは無関係に二大別して呼び習わされており、早くからキリスト教化された北部のマリアナ諸島に居住する人々をチャモロ人、それ以外の南部の島々に居住する人々をカナカ人といいます。
身体的特徴は、ポリネシア人より低身長で、頭髪は黒褐色で直状毛、巻毛や縮毛もみられ、皮膚の色は、西から東に移るにつれて暗褐色から淡褐色になる。
言語的にはオーストロネシア語族に属しますが、マリアナ諸島のチャモロ語、パラオ諸島のパラオ語は、系統上はインドネシア語派(ヘスペロネシア語派)に属します。
言語学、先史学の成果によれば、ミクロネシアの文化は、フィリピン、東インドネシア方面から、西縁ミクロネシアのパラオ、ヤップ、マリアナ諸島に移入してきた文化と、メラネシアのニュー・ヘブリデス諸島付近から北上して、ギルバートおよびマーシャル諸島を経て、東・中カロリン諸島に伝わった文化とに区別されます。
この二つの文化は何回もの小さな波となって波及し、ミクロネシアの伝統文化の形成に影響を与えたのです。
西欧人と接触する以前のミクロネシア人は、新石器文化の段階にある農耕民で、ココヤシ、パンノキ、バナナ、タロイモ、ヤムイモなどが主要作物でしたが、サンゴ島では漁労とパンノキ栽培への依存度が高く、火山島ではタロイモ、ヤムイモなどの根茎栽培への依存度が高くなっています。
サンゴ島と火山島との異なる生態条件は、それぞれの島で、男女の分業を軸とする社会組織を多様なものにしています。
非単系社会であるギルバート諸島を除けば、ミクロネシアは母系を通じて共同の祖先につながりをもつ親族集団が支配的な役割を演じる母系制社会です。
ミクロネシアの母系制社会は、散村形態をとる母系妻方居住婚拡大家族が支配的な東部、中央部地域と、集村形態をとる母系夫方居住婚小家族が支配的な西部地域とに分かれています。
政治的には、土地と海の統制と初物献納を軸とする多様な形態の首長制政治組織が発達していて、宗教的権威を背景に広大な海域に及ぶ貢納・交易網を支配したヤップ島、「ポトラッチ」的威信経済を発達させたポナペ島、コスラエ島の首長国、有力な首長の出現に伴って階層化の進んだマーシャル諸島、親族的序列の域にとどまっているチューク諸島など差異は大きくなっています。
ミクロネシアの社会生活上で大きな役割を果たしているのは、男子集会所、若者宿、クラブハウスなどの男子舎屋の存在で、これらは一つの建物に融合していることもあるが、いずれにせよ、祭政の場であるとともに、未婚男子の合宿所で、これに対して女子用には月経小屋が存在していました。
次回からミクロネシアの国々を個別に紹介しますので、引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )