ジュンチャン

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ジュンチャンと世界を巡る 第83回はメラネシア

レジャー/旅行

 メラネシアはオセアニアの海洋部の分類の一つで、概ね赤道以南、東経180度以西にある島々の総称です。

 具体的にはオーストラリア大陸より北、北東に位置し、ギリシャ語で メラス「黒い」+ ネソス「島」から、「黒い(皮膚の黒い人々が住む)島々」の意味となります。

 メラネシアという用語は1832年、フランスの海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルがポリネシアやミクロネシアとは違うこの地域の民族的・地理的分類のために使い始めました。

 今日では文化的・言語的・遺伝的多様性を正しく反映していないことから、デュルヴィルの民族区分は不正確とされています。

 しかし、パプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツ、フランス領ニューカレドニアなどの国民は「メラネシア」という言葉を、植民地の歴史を共有し、共通した地域問題を抱える彼ら自身を表現するものとして使っているのです。

 2017年のメラネシアの人口は推計で約1400万人で、メラネシアに含まれる国は以下の4国です。

 メラネシアの民族集団は大きくオーストロネシア語族とパプア諸語の話者に分かれていて、メラネシアの先住民はおそらく今日のパプア系の祖先に当たる人たちであったと考えられます。

 彼らは数万年前にニューギニア島を占め、放射性炭素年代測定によれば少なくとも35千年前にはメラネシアの島々、おそらく一番東はソロモン諸島やその東の小さな島々にまで到達しましたが、そのことは同時代の遺跡からニューギニア原産の有袋類(クスクス)や黒曜石などが多数発見されていることから推定できます。

 約4000年前、ニューギニア北部やニューギニア東方の島々において、オーストロネシア語族の人々が先住のパプア系の人々と接触したと思われますが、こうした接触は長期間にわたったため、言語や文化、遺伝形質などが複雑に交じり合う変化が生じました。

 また、メラネシアで生じたこれらの混血の集団の中から、少人数の集団がさらに東に海を渡り、ポリネシアを形成したと思われます。

 また、メラネシアの中には、ポリネシア文化を保持する地域が飛び地のように点々としており、域外ポリネシアと呼ばれています。

 地理ですが、赤道付近から南回帰線の海域ぐらいまで島々が集中していて、島々は火山島(今も噴火し続けている島もある)とサンゴ島などから構成されています。

 大きな島は火山活動によってできた島で、この地域にはゴンドワナ大陸時代の古大陸性地殻によってできた「陸島」とよばれる大きい島が多く、歴史も古く比較的資源に富んでいます。

 また地形も多様で、山地では標高2000メートル以上の山が多く、例としては、ニューギニア島の最高峰ウィルヘルム山は標高約4500メートルもあります。

 陸島の沿岸部ではサンゴ礁やマングローブが繁殖し、低地では熱帯雨林やヤシ林で茂っていて、ニューギニア島の少し高いところでは、ナラ、シイ、ブナなどの寒冷に強い種が繁茂しています。 

 しかし、原生林の多くはヨーロッパ人による植民政策進行以来伐採されてしまい、現在の森林は二次林です。

 動物相は豊かですが哺乳類の種類は少なく、鳥類や有袋類の種類は多く、この傾向は、メラネシア・ポリネシア全域同様です。

 主な理由としては、長い期間海によって大陸から隔てられてきたことが考えられます。

 

 メラネシア人は方言の分化が著しく、同一言語を話す言語集団が小さいです。

 メラネシア諸語はオーストロネシア語族に属し、マレー語系の影響も受けていて、パプアニューギニアにおけるメラネシア諸語の話者は人口の約15%ですが、その一方で19世紀半ばに奴隷商人たちの影響によってもたらされたピジン英語はメラネシアの共通語となり島嶼間のメラネシア人の連帯感を高めているのです。

 体系的な宗教は持っておらず、宗教と呪術の区分も明確でなく、東部のメラネシア人社会では超自然力(マナ)を信仰しており、すべて形あるものに精霊が宿ると信じられていました。

 このため、品物を多く持つ白人たちの文化に触れ、その羨望から彼らが信仰していたキリスト教へ改宗していき、こうした動きはやがてカーゴ・カルトと呼ばれるメシア運動へ発展し、メラネシアの社会問題となったのです。

 神話伝承は存在していますが、そのほとんどは聖書やカーゴ・カルトの影響を強く受けており、後年に創作されたものと考えられており、原始美術に体系付けられるような口承は現存していません。

 生活ですが、主として堀棒耕作を行う農耕民で、タロイモ、ヤムイモ、キャッサバ、サツマイモなどの根茎類のほか、バナナ、パンノキ、ヤシ、サゴヤシなどを栽培しています。

 沿岸部では漁撈も行われ、食習慣としてはコショウ科植物の根を原料とした飲料物(カヴァ)や、キンマの葉に包んだビンロウの実と石灰を混ぜたものを噛む習慣(ベテル・チューイング)が特徴として挙げられます。

 社会組織としては、地理上の問題から中央集権化が困難なこともあり、小規模な単位での政治制度が採られていて、文化圏や言語集団に関わらずビッグ・マンと呼ばれるリーダーによって200人から300人の居住単位による集団をひとつの組織としていたのが一般的です。

 ビッグ・マンの地位は世襲の場合やそうでない場合が地域によって混在しており一概には定義できませんが、血縁集団レベルで言えば、地縁内婚が一般化しており、ひとつの集団内のほとんどは親族ないし姻族です。

 豚と小型の貝などの稀少品に価値観を見出していて、これらを用いた海上交易や作物の物々交換が発達していましたが、近年は貨幣も用いられるようになり、定期的な市が開催されています。

  次回からはメラネシアの国々を個別に紹介しますので、引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )(ジュンチャン)