tosituki

好きな人はなぜ好きになるのだろう?

日記

きらいになる場合にはきらいになる意味があったに違いない。


離れるときは離れる方がよい。

それはきっと別の私になっているのだから。

どの私もわたしなのだけど、

かかわりあっていくには会わない自分になっているのだろうと思う。

なので、

縁があれば、またお互いが必要なサイクルに戻るのだろうし、そうならない場合は

それが一生のお別れでも仕方ない。

好きという気持ちは、必要であった時の残像であると思う。

今は必要でなくなったのに、必要だったころの残像に悩まされて、好きだと勘違いしているに過ぎないかもしれない。

性欲に関してもだ。

私が10代~20代の時は、それなりの性欲もあったかもしれないけど、

今はない。

しかたない。

でも、必要がないのに残像に恋しているっていうことかもしれないのだから。

気にしない方が良いかもしれない。