ジュンチャン

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ジュンチャンと世界を巡る 第89回はポリネシア

レジャー/旅行

 ポリネシアはオセアニアの海洋部の分類の一つで、太平洋で概ねミッドウェー諸島(北西ハワイ諸島内)、アオテアロア(ニュージーランドのマオリ語名)、ラパ・ヌイ(イースター島)を結んだ三角形(ポリネシアン・トライアングル)の中にある諸島の総称で、2017年の人口は約700万人ほどです。

 ポリネシアはギリシャ語のポリ(多くの)ネソス(島)から、「多くの島々」の意味で、ポリネシアに含まれる国にはニュージーランド(2016年時点で4693000)、サモア(2011年時点で187820)、ツバル(2012年時点で1640)、トンガ(2011年時点で103252)があります。

 ここでは国以外にも、アメリカに属するハワイ州(2016年時点で1428557)とチリに属する

 イースター島(2016年時点で6600)を紹介します。

 ポリネシアの先史ですが、ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、その祖先は台湾に定住していました。

 紀元前2500年頃、一部のグループが台湾から南下を開始し、フィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達したのです。

 ラピタ人と称される原ポリネシア人は、ここからニューギニア島沿岸およびメラネシアへと東進し、紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達しました。

 現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土しています。

 サモアに到達した時点でラピタ人の東への移住の動きは一旦止まりますが、その間にポリネシア文化が成立していったと考えられています。

 再び東への移住を開始するのは1世紀頃からで、ポリネシア人たちはカタマランやアウトリガーカヌーを用い、エリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住し、その後マルキーズ諸島やソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達しました。

 なお、ポリネシア人たちは太平洋各地に拡散したのちも、ウェイファインディング(スターナビゲーション)という高い航法技術によって互いに行き来が行われていました。

 ヨーロッパ人による最初の太平洋航海は、1521年にスペインのマゼランが行った航海ですが、マゼラン艦隊はトゥアモトゥ諸島やライン諸島の無人島に接触したのみで、ポリネシア人には接触しなかったのです。

 ヨーロッパ人による本格的なポリネシア探検の始まりは、1642年にアベル・タスマンが、オランダ東インド会社の依頼を受けて行った探検で、タスマンはこの探検でニュージーランド南島やトンガに到達し、マオリ人とは敵対しましたが、トンガ人とは友好的な交流を行い、トゥイ・ハアタカラウアに謁見しています。

 また1722年、ヤーコプ・ロッヘフェーンは南方大陸探索のために太平洋を探検し、イースター島、ボラボラ島、サモアに到達しています。

 1768年、イギリスのサミュエル・ウォリスは初めてタヒチに到達したヨーロッパ人となり、その10箇月半後にはフランスのルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルもタヒチを訪れています。

 ポリネシアの残りの地域の詳細が判明するのは、1768年から1780年にかけて行われたジェームズ・クックによる3回にわたる探検航海で、クックはタヒチ、ニュージーランド、トンガのほか、1778年の第3回航海の途上でハワイ諸島に到達しています。

 また1804年には、ロシア帝国のニコライ・レザノフが指揮する2隻の艦隊が、マルキーズ諸島ヌク・ヒバ島とハワイに寄港し、2隻のうちのナジェジダ号には、陸奥国牡鹿郡石巻(現:宮城県石巻市)出身の津太夫や善六ら若宮丸漂流民5名が乗っており、確実な記録に残っている中では、若宮丸漂流民5名が初めてポリネシアを訪れた日本人となりました。

 その後の歴史は、ここでは省略します。

 ポリネシアの伝統社会は地域によってかなりの差異があり、原始的な狩猟採集民の社会もあれば、焼畑農業を行う社会もあり、集約的・大規模な農業を行い、灌漑施設を充実し、世界的にみても高い人口密度を有する社会もあったのです。

 主な農作物としては、タロイモ、ヤムイモ、バナナ、ココヤシ、パンノキ、サツマイモなどが挙げられますが、上述の通り農業技術の地域差があり、気候的にも亜寒帯から熱帯にまたがるため、それぞれの地域に即した作物が栽培、ないし採取された。漁業についても、釣り針すら持たない社会もあれば、大規模な人工池を作り養殖漁業を行っている社会もありました。

 家畜は、イヌ・ブタ・ニワトリの3種に限られ、地域によってはその3種のうちの12しか伝播しなかったのです。

 社会的には多くの島では自給自足でしたが、中には高度な分業社会を形成し、農耕の傍らであるが物品製造に従事し、その技術を世襲で受け継ぐ職人階級を形成した社会もありました。

 モリオリ人のように極めて平等で上下関係の存在しない社会もあれば、ハワイのように厳密な階級が存在する社会もありました。

 階級社会が厳密な場合は、異なる階級の通婚が厳しく規制された例もありました。

 政治権力が存在する場合は、単一の島に単一の政治勢力しか存在しない場合もあれば、複数の政治勢力が分立する場合もあり、トンガ大首長国のように、侵略戦争用の軍隊を持ち、他島に駐留し、多数の島々にまたがって政治支配を行う社会もあったのです。

 現代のポリネシアですが、ニュージーランド以外の大多数の島々は収入を外国の援助と国外居住者からの送金に頼っていて、若者は収入が得られ仕送りが出来る土地へ出稼ぎに行こうとする傾向があります。

 イースター島のように観光で補う所も多く、ツバルはインターネットドメイン名の「.tv」を売っていて、クック諸島は切手販売に依存していますが、非常に少ないが西洋文明到来前の生活を送っている島もあります。

 次回からはポリネシアの国々を個別に紹介しますが、引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )(ジュンチャン)