朝日新聞の嘘報道「韓国の偽従軍慰安婦問題」
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1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称[1]する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令により済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった[2]。
朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において清田治史が「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。
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1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州島の済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載、そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」とした[7]。また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した[8]。
=============ウィキより
当時は韓国の歴史家の中に其れを嘘だと証言する物が現れるが朝日新聞は其れを取り上ず「偽の韓国の従軍慰安婦の歴史は其の後に毎日新聞、赤旗などによって日本で広まって行った。
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1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した[9]ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部俊樹首相へ公開書簡をおくった[10]。なお秦郁彦は、吉田証言が挺対協の起爆力となったとしている[11]。また元慰安婦の金福善は吉田証言をきっかけに名乗り出たと証言している[12][13]
===========ウィキより
自称従軍慰安婦「金福善」の証言↓
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<慰安婦生存者13人証言>12歳で経験した悪夢…その痛みを包んだ暖かいコート
https://s.japanese.joins.com/JArticle/205407?sectcode=420&servcode=400
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1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人クラブで5人の老人と話し合って吉田証言は虚構らしいと確認できたとし、また、済州新聞の許栄善記事を発見し、吉田証言には根拠がないと産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した[14]。その後、1996年に吉田は「秦さんらは私の書いた本のことをあれこれ言いますがね。本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてもまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。」と、事実をカムフラージュした部分もあることを述べた[15][16]。朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載した[17]が、訂正記事は出さなかった[18]。
略
李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も特段の変更は行っていない[16]。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠の一つとして採用されている[21]。
2012年9月5日にも朝鮮日報は吉田の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分」と主張した[22]。
===========ウィキより
其の後にも日本人の色々なジャーナリストや歴史家や2チャンネルを始め多くの日本人が朝日新聞の記事の嘘を暴く証拠をどんどんと取り上げてネットに載せて行った。
そして遂に朝日新聞は其の記事が嘘だった事を認めざる得ない状態になり嘘を認めた。
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朝日新聞による慰安婦報道の取消 (2014)[編集]
>ウィキニュースに関連記事があります。- 朝日新聞が慰安婦問題で誤報認める (2014年8月6日)
- 朝日新聞が慰安婦問題で誤報認める (2014年8月6日)
2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題に関する「慰安婦問題を考える」・「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(16-17面)を掲載した。
吉田証言記事の取消[編集]
朝日新聞は吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した[39]。朝日新聞によれば、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた、その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。このほか、2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている[40][41][42][43]。
===========--ウィキより
其れまで多くの日本人たちの地道な証拠を探しては真実を突きつける行為が地道に長く真実を証明する為に行われ続けた。
其の中で多くの韓国の「自称従軍慰安婦の嘘の矛盾は指摘されて嘘があばかれた」が彼女たちは海外に行ってまで其の「自称従軍慰安婦の嘘」を広めて「事情従軍慰安婦の嘘つき女の像」を海外に立てて偽の歴史を書いて其れを広めて行って日本を貶め続けて居て今も其の「事情従軍慰安婦の嘘つき女の像」は世界中に真実として立っているのである。
其の「事情十ぐ慰安婦嘘つき女の像」を撤去して其れが嘘だった事を国際社会で公式に認めて日本に謝罪もせずに「日韓間関係改善」を言って来る其の無神経さに怒り感じる。