かきくけこのブログ。

かきくけこ

かわいいかわいいと、かわいい連呼するブログ。読めばかわいいがゲシュタルト崩壊することうけあい。

愛知県の歴史を大人がわくわくして探求したくなる話

日記

日本むかし話の一つに、愛知県の実在する島の怖い話がある。「仏島」である。仏島…もうそれだけで恐ろしい。何かもう、得たいの知れなさがあるネーミング。もう絶対何か霊でる。っていう名前。仏島。確実に絶対死のリアルがある名前。そんな仏島のエピソードもばっちり怖い。この話を作った人が一体どういうつもりでこういう話をつくったのか。昨今は脱出ゲームとか、謎解きクエストイベントとか流行っているけれど、誰も口に出して言わないけれどこの地に脈々と受け継がれている歴史を実際の足で歩いてみて、触って体験して歴史を確かめたくなる現実がある。何はなくともというか、尾張名古屋は城で持つとはどういう意味なのか、誰も私に教えてくれないので想像しましたけど、こういう昔話の題材になるような場所や遺跡が残っているところが、愛知県のいい処だと思います。そして私は怖い物見たさというか、旅人気質なのでズカズカと土足で歴史を探訪してまわれるんですけども、この仏島というエピソードの怖さの何が怖いかって、仏島に出てくるアニメーションの絵と、仏島の現在の姿が似ても似つかないんですよね。それに、仏島の周囲の海域は特に船が座礁してまでも通りたくなる様な地形ではないし、迂回しようと思えばできるような島である。特にそこで沈没した有名な船やら人の名前は残っていない。
 そこで、ここが気になってくる。

 東京から京都を繋ぐ有名な道路、宿場、東海道五十三次がある。名所、ルートの伝説、宿場の名残、歴史、とても興味深いエッセンスがぎっしりつまった、歩き旅好きな人におススメルート。この東京日本橋~京都三条大橋の道の間に、「七里の渡し」という41番目の宿場がある。
 この七里の渡し、という場所である。この七里の渡しという場所の常夜灯と、「仏島」にでてくるラストの供養塔とそっくりなのである。
 それに、七里の渡しのあたりの海域は、頻繁に船が通る海域であったにもかかわらず、歴史に悪評高く残るほど、船の座礁しやすい難所だったという、そういう伝承が残っている。これは偶然だと思うけれど、「仏島」のエピソードに激ハマリしているのである。
 この二つの点だけで、「仏島ってもしかして七里の渡しのエピソードなのでは?」と想像する事は可能かもしれないけれど、早とちりが過ぎるともいえる。単純にただの憶測である。馬鹿にも程がある。だが東海随一の難所海域といえば、仏島ではなく、七里の渡しなのである。もうそれは、ここら辺に住んでたらわかる事なのである。と、そういう歴史文化探求心がむくむくわくわくする、楽しい発見になることうけあいなので、東海道五十三次お遍路さん、ホラー歴史大好きさんはぜひ仏島と七里の渡しを歩いてみて、その歴史にふれ何が本当で何がどうなのかをその目で見てはいかがだろうと思った。とてもヤバイ事を書いてる気がする。というのも、これがもし七里の渡しの話だったならば、エピソード中に語られる「この世ならざるもの」というのが、尾張藩付き家老たちの事になるところで。もう、どんだけ老いた人を昔の人は神聖視していたのか、というか、畏怖の対象として描いたのか、というところに差し掛かるから。う~ん。尾張藩の家老ともなると、確実に名家の筋。実権もあったろうから、そりゃもう、海底に沈んだ石塔も、莫大なちからによって陸に引き上げるのだろう、というのはわかるけど、そんな人間離れした権力を「この世ならざるもの」って上に見すぎて下に落とし気味なそんな表現が、私みたいな旅人気質は「おもしろ~~~~~~~~」って大爆笑した。わけだが、実際問題、このあたりに住んでる由緒正しき気高き士族の方には親戚類縁いるわけで、そんな超お嬢お坊らは自分の先祖を「この世ならざる~」って言われると、嬉しいこそばゆいともあるだろが、どうも少し危ういものもある。まぁ、そういう天にツバ吐けない立場の人が見た「この世ならざるもの」としか言い表せなかった存在、そんなものを垣間見るような。そんな権力やら歴史やら、恐れ多いことなどなど。色んな思いが邂逅があってしかるべきな、そんな気分になる、この仏島と七里の渡しの取り合わせ…。ふむ、あまり深入りすると、この世ならざるものに呪われそう。そんな時は七里の渡しのすぐ近くに熱田神宮があるから神頼みしてりゃ大体なんとかなると思う…?ならないかな。とても怖い(泣)怖い話(泣)さておきこの熱田神宮というところもまた、とっても緑がゆたかで大自然で癒しスポットで。きしめん激押し。