ゲシュ崩ログ 46 おかねもち
錦鯉のえさやりをしたいというので、子どもに鯉のえさやりをさせる。楽しそうでなによりです。徳川園という徳川家の庭園のすぐ横に、美術館もあって時間があるのでそれも見る。鎧と日本刀が激熱でやっぱりいいよね、という感じの展示でした。刀の見た目の美しさとか、歴史遺物なもんだから、歴史が歴史だからこれは実際に実用された刀なんか…とか色々刃物にヤバい魅力を感じたりして見てた。名前を冠した刀はすべて名刀らしく、ただの刀と別格扱いらしい。そんな文明に触れたりできて大満足でした。そんなこんなの中、私は梅瓶という陶器に釘付けになってしまった。「鉄絵雲鶴兎文水指」というものなんですが、もう釘付けになってしまった。なんていうか。もう言葉にならない。だけど徳川美術館にこんなものがある事に私はもうたまらんかった。凄いなんていうか。もう凄い。時間があったら一つひとつもっとゆっくり見たかったけど子どもがいるので全くほとんど見ないで帰った。鎧もっとゆっくり見たかった。鎧重たそうでした。着たら重たいかもしれません。火縄銃のフォルムなんかどうして昔の人がこんなもの作れたんだろと興味しんしんでした。銃と名古屋というのは実はけっこう歴史のある重たいテーマだったりするかもしれません。興味深い展示物ほんとによく見たかった。面白かった。でも子どもがいるので殆ど何も見ないで帰った。もっと見たかった。壺もそうだけど茶壷っていうのか。茶入れが。茶入れの多さ。日本でも茶入れをこんなに取り揃えている美術館って無いのでは。茶入れのバリエ豊富さ。お金持ちすぎ…って思ったりして。茶入れをこんなに愛でていたお殿様の深い愛と慈悲を思わずにはいられません。なんて尊いとしか思えません。茶入れ愛に思いを馳せた昔の将軍様の気持ちを、一体現代の誰が理解するんだろう。案外現代は豊かな時代だから、けっこう多くの人がそんな心境に到達してたりして。昔のお金持ちの亡霊がもしいたら、現代の豊かさを見て成仏してくれたりするのだろうか。しないのだろうか。
お金持ちの人の感覚として、「人に好かれようとして面白いことする人を哀れだとおもう」という感覚があるらしい。私はこれを聞いて「面白い人に対して否定的になる人っているんだ…!?」と衝撃を受けて、自分の価値観がぶち壊された気がしました。面白いギャグを言ったり笑ったりするのって、貧民に残された最後の趣味みたいなものなので、それを否定するどころか、それはもう大切にするべきものかと思っていたんです。お金持ちはそんな貧乏人のお笑い至上主義が哀れに見えるらしい。そんな本物のお金持ちの人を「そんな人いるなんて面白い」とネタにするほどには、私は貧乏人みたいだ。ますますお金持ちはそんな私みたいなのを嫌うのだろう。子どもが最近、「うんこうんこ~~~」って言ってゲラゲラ笑うので、そういうのは私のDNAなんだろうな~と思って特に「そんなこと言わない」と叱った事ないんですが、お金持ちに育てたかったらそんな哀れなこというんじゃありません!って言うべきなのか。でも「うんこ~~~~~」って子どもが無意味にうんこで笑うのかわいい~~~~~っておもっちゃうんだよな。やっぱり私の可愛いの感覚はゲシュタルト崩壊している。うんこドリルにもやっぱり親しみを感じているみたいで、なんで子どもってうんこ好きなんだろうなと。うんことお母さんどっちが好き?って聞いてうんこ、って言いかねないと思うとゾっとした。
うんこニアイコール私なの!?うそ!?そうなの!?と子どもの肩を揺さぶる日がきたらどうしよう。