こんな時から日本は車を輸出してたんだ。
戦後の大衆車と言えば「スバル360」なんだけどかなり長い間見かけた。
其れでも何十年か前なんだけどどこかの駐車場で年配の老夫婦が懐かしい其の車から降りてきて懐かしくて傍によってマジマジと見つめて居たら「今日で最後なので夫婦で最後のドライブに来た」と言う様な事を言っていた。
それ以前はオート三輪を見かけたけど実家の我が家に車が来て両開きの立派な車庫に入れて置いたので早朝に在日朝鮮人に盗まれて畑のあぜ道でひっくり返って壊された。
犯人は捕まったけど彼らに賠償能力は無く我が家は凄い損失で一家でがっくりとしたことを今でも覚えている。
アメリカでかなり古い輸出用の左ハンドルに変えた日本車が見つかった。
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日本海軍からの民需転換 米国農場で発見された「国産軽トラ」の正体
60~70年代、北米へ輸出された日本製の軽
筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)が、北米に生息していた1960年代始め頃の軽自動車の実車を直接目の当たりにしたのは1995(平成7)年のこと。場所はノースキャロライナ州、車種はスバル360だった。
以来、全米各地で、1960年代から1970年代に掛けて輸入されたという複数の個体を確認している。
なお、スバルは360だけでなくエンジン排気量を450ccに拡大したバージョンも販売されたし、同様に後発組だったホンダN360やZの場合は、最初からエンジン排気量を600ccに拡大したバージョンが北米仕様として販売され、それなりに売れたとも言われている。
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ミネソタ州で見た左ハンドルの軽トラ
一方、今回紹介するのは北米はもとより日本国内でもめったに見掛けることがなくなったマイナーな軽トラックである。
その名はコニー・ワイド。かつて愛知機械工業という会社が生産販売していたモデルである。
遭遇した場所は、アメリカ中北部のミネソタ州ミネアポリス郊外のとある農場。近年に中古車として北米に持ち込まれた日本仕様ではなく、紛れもない左ハンドルの輸出仕様。
年式はおそらく最終生産型に近い1970年頃。ナンバープレートはなく、農場内の構内専用車として使われていると思われる1台だった。
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愛知機械が手掛けてからのヂャイアントのオート三輪は、耐候性に優れたフルキャビン、セルモーター装備の水冷エンジン、丸形ハンドルといった、同時代の他社の製品にはなかった装備が特徴だった。
そんな愛知機械工業がオート三輪市場の斜陽化傾向とともに新たに1959(昭和34)年から参入することとなったのが、軽貨物車市場だった。当初はヂャイアント・コニーの名称で、1962年以降はコニーの名称とともに販売された。
https://www.msn.com/ja-jp/autos/news/
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戦後円安で日本は輸出に力を得て戦後の復興をして行く。
此の円安を何とか生かせる技術開発と日本の地に足がついた産業に結び付けないのだろうか?
統一教会等と言う日本を平然と食い物にする宗教をのさばらせただけでなく岸田は何とブレてG7に韓国を呼ぶと言う。
統一教会の思考を考えて日本人として腹が立たないのだろうか?
何故韓国のあの「日韓基本条約」すら無視をして偽の歴史に基づいた思考からの反日行動をしている韓国をこうも簡単に岸田は許してしまうのだろうか!?
こいつは日本をまだだめにする側に居るんだなと改めて思った。
安倍派と統一教会の繋がりは怒り心頭だが、安倍派が岸田から距離を置いたのも解るような気がした。
野党は勿論日本を夜盗まがいに日本の国益を略奪しやがって来たが堂々と韓国に迎合しようとする岸田にもまた昔にもどるのかとおもうとぞっとする。