母について 父について
母は(当時で言う)お嬢様育ちだった
花の大都市 札幌から 小汚い小川が流れている山深い歌志内に嫁いだ
次女だったし 兄は溢れるほどいらっしゃった
それでも婿様は 当時飛ぶ鳥を落とす新興産業である
北海道を代表する炭鉱企業に勤めていた若者である
父は我楽多家の長男であり
学業を 滝川を経由してすべての履修を優秀に修め
今の室蘭工大の採鉱科を卒業し
当時 北海道で一番の成長企業に就職した
(彼の父⁽お爺ちゃんね⁾も喜んだ)
後に そのお爺ちゃんは病弱な孫(私)をおんぶして真夜中に
炭鉱病院に向かって急な坂道を駆け下りてくれたその人である
時は前後する
そのときに召集令状が届いた
無事 兵役を終え 満州から引き上げ 妻を娶る
優秀だった父は過酷な労務をこなし
大都会の札幌から身目麗しい(キツネ目の)妻を迎えた
当時のエネルギー産業の最前線を疾る会社は無敵だった
鉄をつくる 火力がいる だから石炭が要る
前にも書いたが 戦争に行ったことで 父は同期から出世が遅れた
上層部は言い逃れをして兵役につかず 父が再び復帰した頃には
彼らは既に手の届かない遥か空の上にいた
優秀だった父は労組の中で暴れまくった
(もちろん手加減はしてるでしょうけどw)
(彼の母は やりすぎないように心配してたようだ)
本来なら高い建物の上で会社の将来を勘案していたはずの立場の人間が
地底何100Mの坑道で最前線に立ちながら 仲間を鼓舞し 励まし 時には叱咤し
鼻の穴は真っ黒 気も荒くなる
崩落の危機やガス突出や浸水や そもそも何らかの爆発が起こりかねない
偶然なのか 幸運なのか 必然なのか
誰にもわからない
彼が地下に居た時は 事故は一回も起きなかった
父は労働者側の立場で暴れ働いた
そんな時に私が生まれた
これも前に書いた
ああ 我楽多さん家に皇太子様がお生まれになった
お爺ちゃんの建てた鯉のぼりは歌志内の高台に泳いだ(水色のペンキの柱)
吹き流し 真鯉 緋鯉 子鯉数匹
てっぺんに風で回る二つの金の回転球
お待たせしました
お待たせしすぎたかもしれません
(なんせ4番目ですから)
家(社宅)は高台にあった
買い物の帰りも 作物を背負って運ぶ時も
札幌生まれのお嬢さんは
夏は汗を思いっきりかいて(もともと汗っかきだった)
冬は私を背負い 凍った坂道を登り続けた
家の前に辿り着いたときはホッとしたことだろう
夏ならば お爺ちゃんの作っている広大な畑の
トウキビやトマトや枝豆や大根や人参や新鮮な卵を供給してくれる
鶏小屋の前で一息つき
冬ならばそれらすべてが真っ白に埋もれている中
家に隣接している石炭小屋の残量を確かめる
石炭が足りなくなってきて会社に電話すると
翌日には2トントラック一杯の良質の石炭が小屋前にうず高く積まれる
当時はお爺ちゃんがスコップで小屋の羽目板を数枚外し
凍らないうちに投げ入れていたのだろう
その家庭内業務を 私は小学高学年になった頃には引き継いでいた
お爺ちゃんが亡くなったのはその数年前だったので その間誰がやっていたのだろう
あれはいつだったのか
鉱員は地下から上がってくるとまず風呂に入る
無事に務めを終えて
生き残れて
穢れを清め
鼻の汚れを洗い流し
自らの愛する人の前に立っても恥じないように
地底での汚泥を洗い流す
その会社は大会社だったので
大浴場は広かった
私(4.5歳)がピタピタ足音をたてながら浴槽に近づいている
遠くで湯に浸かっている父が私を見つけて 手を振っている
たいていすぐに行きつけない
『あっ 息子さんだ』
『皇太子さんか!』
『こっちおいで!』
基本的にバカな私はエヘエヘしながら
荒くれ男達の胸に抱かれ それでも丁重な扱いで父の元に届けられる
一緒に入った会社の大浴場
それはそれでいい時代だったのかもしれない
(いったい誰がこんな幼児を素っ裸で現場の大浴場に送り込んだのだろう?と今さらながら思う)
謎が新たに生まれました
そのあとは
毎晩 我が家では 父の部下達の宴会が繰り広げられた
札幌出身のお嬢様はキツネ目の傾斜を更に角度をキツくして料理を振舞った
父は部下から絶大的に慕われていた
当然だろう
最前線にいながら 本来ならもっと偉い人
そんな人が最深鉱道で指揮をふるう
これも前に書いたよね
そんな一人の部下から私の生誕記念日に贈られた
”銀の匙” シルバースプーン
指を入れる裏側には私の名前が刻印されていた
ビートルズの歌にもあるでしょ
Protected by a silver spoon って
今こうして能天気なことを何の不安も感じずに書いていられるのも
そう思うと感謝しかありません
母のこと
キツネ目は弥生人80%
頭良かったね
JAL とANA の簡単な見分け方
息子「ANA のAは ALL なんだから全日空なんだよ」
息子「ウエスタンて西部劇でしょ だからイーストは東なんだよ」
瞬時に彼女は理解した
さすがは高女で裏委員長の異名を誇った閨秀
人前で直に話すことを最後まで嫌った
キツネ目って綺麗だと思います
父のこと
もうびっくり眼(マナコ)は縄文人80%
頭良かったし勇敢だったし
ゴメンね
手先不器用で釘打ちも満足にできず
冬支度では満足にお手伝いできなかった
でも一緒によく釣りに行ったね
楽しかった
あ あと本棚にあった「人類の歴史」
結局あれが私の人生を決めたのかなあ
(お母さんのこと大好きだったでしょ 知ってるんだからコノヤロ)
あ 最後にゴメン 子孫残さなくてゴメン
そちらにいってからお叱りを承ろうと思ってます
でも実は、、、、
いや ないないw
いや、、、
おの
2023/02/05 09:40:56
いいご両親だったのですね^^
我楽多煎兵衛
2023/02/01 23:00:56
一応 妄想① 妄想②をアップしました
私のまっ平な皮質で考えれる記事を
お陰様で文章化できました
サジョスション 感謝いたします
ルルルのル^^
2023/01/30 15:05:41
素敵な御両親ですね
映画が出来そうです
でも実は、、、あるかもしれないよ〜ん