ガラクタ煎兵衛かく語りき

さよなら My High School Days

日記




何の疑問も無かった
札幌市内の有名中学校で それなりの成績をゲットしていたので
高校受験は1校しか受けなかった


(当時の)北海道では 公立>私立という状況だったので
私は北海道の最高進学校(公立)を受験し
(甚だ失礼な物言いだが)滑り止め(私立)には願書を出さなかった
それでも 在籍中学校の進学対策課なんちゃらからは認められた
そんな感じ


逆に親に (払わずに済んだ)私立校受験分の費用を小遣いとして自分自身に要求した
無駄金を使う必要は無い 欲しいものを買いたい 小遣いで自分にくれ
親も別に異は唱えなかった
そして私は数万円を手に入れた



今 書いてて 自分自身に猛烈な嫌悪感を覚える
大丈夫 間もなく バチが当たるから
因果応報 乞う御期待




500 (100x5) 点満点の公立一斉入試で438点(自己採点)を得た
(この辺の数字の中途半端さが 将来を暗示している)

めでたく合格 当たり前だ 涼しい顔で進学した




こんなイヤな奴だったが
何故か友人には恵まれた
小中時代の度重なる転校で 地球の氷河期並みの全種絶滅を繰り返したが
いろんなヤツが周りにいてくれた 

こんなイヤな奴だったが
あえて自己弁護すると 【人が好きだった】
当然攻撃してくる輩もいたがそういうのは無視した
(そのうち相手は飽きて別方向に向かった)
本当に不思議なことだが やがて同じ類いが集合化していった



そのうちの一人がアインシュタインを日本人化したW君
中3に知り合い
そのさなかで 彼は授業中に鉄棒から落ち(いや 休み時間かな)
頭を打って 逆行性健忘症を一カ月患い やがて 我らが待つクラスに復帰した




高1のときに 彼はケロリン 私はコルゲン という不思議なガリ刷りの冊子を
ほぼ同時に数冊(発行部数一桁)を無償で周りに配布した
小説というか 小品なのだが ほとんどは 自称SF だった
互いに原稿を送り合い 彼は Dick  自分は Ballard お互いの理想を
転げながら 批評しながら 互いに載せあい
彼の外見のアインシュタインぶりに 半ば嫉妬し
彼は彼で 私の何を認めてくれたんだろう




そうこうしてるうちに 少女マンガの洗礼を受けることになる
そうこうしてるうちに 翻訳ミステリの洗礼を受けることになる
そうこうしてるうちに 翻訳ホラーの洗礼を受けることになる
そうこうしてるうちに 翻訳 SF をこじらせていった ニューウエーブである


おまけに 本屋さんの店頭で「幻想と怪奇」や「NW-SF」の創刊号が並び
ほぼ同時期にテクノ専門誌「テッチー」が発刊され
リットーさんのメイン誌「MUSIC LIFE」誌の編集長さんが
水上はるこさんから東郷かおる子さん(bol)に変わり
世の音楽は クイーン エアロスミス キッス 大隆盛でございます
 










さてさて 比較的優秀な成績を修めていた
あのイヤな奴の高校入学後すぐに行われた中間試験では
450人中120番台という結果だったが

それから2年半後
欠員が数名いたが(改めて思う 彼ら彼女らに想いを馳せたい)
大学入試という最終関門で殆どゲレッパの2乗の数字で何とか卒業できた
要するに400番台でアップアップの状態


そん時の私の頭ん中
SF 少女漫画 ミステリ ホラー 同人誌 音楽 ファンタジー
全部サブカルじゃん


前にも書きました
卒業式に(寝坊して)刻時を遅れて 仕方なく職員室に顔出しした
教師は満面の笑みで私を迎えてくれた
「いやーっ お前大物になるなw」
卒業証書の入った蛇柄(?)の筒を戴いて(今どこにあるかわかりません)

そうして私の高校時代は終わりました 



4年後
W君は 私が札幌から失踪時に 親(私の住所宛)に
いかに私が素晴らしい人物だったかという手紙をくれました
読むつもりもなかった というか いつのまにか その手紙は
読まないまま 今はどこにもありません

元気かな
生きてたらベロを出して写真に納まって
お互いの印象を伸べあいましょう
違和感の塊
それはお互い様でしょう
ありがと
楽しかったね

  • おの

    おの

    2023/02/19 16:50:55

    高校時代、なんだかんだと楽しかったですよね。きっと