ゲシュ崩ログ 203 椅子取りゲーム
一緒に椅子取りゲームをしていて、勝負してると、どうやら子供が私に勝ちをゆずってる様子がある。あれ、勝てた。と思ってやったーと言うと、子供は微笑んでる。こういうのされて初めて、年下に勝ちを譲られるというのはけっこうしんどいもんなんだな、と思う。すご~く下に見られた気がした。子供の容赦の無い私に対する下にみた意識というのか。たまには勝たせてあげよう、なんて気遣いぜんぜん求めてないのに、そんな気遣いされても嬉しい訳でもないし、勝ちたいと思ってたわけでもないし、でもなんだか勝ちをゆずられて、「いいのよ、いいの」みたいな菩薩みたいな微笑みをむけられ、なんだかとても自分が酷い人間になったような気がして、凄く迷った。こんな気持ちになるのは、最初から私が真剣に椅子取りゲームで勝ちを望んでいなかった不真面目さがあったからなのか。それとも、子供にそんな気を遣わせてしまう自分の気の利かなさを思い知るからか。勝負というのは真剣にやってこそ面白いんだ!みたいな考え方を私は教えられてないんだなと勝負を楽しむ気持ちみたいなものをどうやって教えたらいいんだろうと悩むからなのか。勝ちを譲りあって、互いに楽しい気分になろうね~みたいな、生ぬるいごっこで楽しいしそれでもいいなとも思うんだけど、これでほんとにいいんだろうかと、悩みは悶々。絶対ぜったーーい勝つーーー負けない絶対ーーーという負けず嫌いな性格が無いような気がする。そんなんでこれからどうなるんだろう?と不安。これが縄文時代とかだったら生存に関わっていたのかもしれないけれど、令和時代だから競争で隣人とバチバチというのは違うのかもしれない。そういう時代なのかもしれない。平成でゆとりさとり世代ときて、令和はおっとり世代…?な時代なのかもしれません。おっとりさんでのほほんな人種が令和時代にいっぱいいる。昭和は「ええそんなんでいいんかい」とやっぱ考えますけど、そういうものなのかもしれない。椅子取りゲームで椅子とれないと激高…とかじゃなく、椅子は譲って微笑む…そんなおっとり時代を子供に垣間見る。