ガラクタ煎兵衛かく語りき

先生の思い出 ②

日記


承前

① N先生は 後にいろんな学校の校長を務め上げられました
記憶が確かなら その後に更なる要職に就かれたはずです
偶然なんだけど 私の担任になってくれたのは 私の幸せの一つです

② 結局 1年ちょっとで再び私は田舎の炭鉱街の別な小学校に転校しました

③ そんな短い期間でありましたが さすがは大都会 札幌
小学校3年生を通して委員長を務めましたが ここで突然副委員長のお話を致します




SSW 中島みゆきさんの渾身のアルバム「愛していると云ってくれ」
 その中の珠玉の一編である「ミルク32」

もうお互い御年でございますから 直近は存じかねます
失礼があったらお詫び申しげます

この歌での「ミルク」さんに嫁いだのがなんと副委員長だったのです
(東京から札幌に帰って ある日新聞で読ませていただきました)
今でも喫茶店や簡易スタジオを経営なさってるのでしょうか
お二人とも御健壮であられることを切に願っております
(ね! ととこちゃん♡)





さて


本題に戻りましょう
小3のときの図工の時間
持ち時間は2時間
既にその半分は無為のまま消費している

ところが突然我らが煎兵衛は 急に描き出した
もうその時の自分の気持ちとか記憶は既にない
絵具を出し 筆を解かしながら ひたすら画用紙に向かって
結局1枚の絵を描き上げた

N先生の杞憂は いや 見守りは 大団円となった

④ 私は絵が下手クソです 勿論デッサンもできてません

その絵は賞こそ得られませんでしたが 長らく教室の掲示板に貼られました
え? どんな絵?


見学した雪印工場では 皆さんが働いていらっしゃいました


私は多分 頭のどこかがぶっ飛んでるんでしょうね
配られた画用紙に(半分の1時間で)描いた私の絵

四方八方を飛び交う 背中にエンジンを搭載したロボット達
彼らはあちこちに必要な物資を供給するために飛び回っている
その下では ベルトコンベアーに並立する別機種のロボット達
一糸乱れず製品を仕上げている

それが 9歳の私が工場見学を終えて
「さあ 絵を描け」
と言われた結果でございます


最初に言ったでしょ 自慢話だって


当時まだTVでのウルトラシリーズは存在してません
本人も SF の存在さえ知りません
まあ9歳だったから かろうじて”ロボット”という概念はあったのかな


そんな私を暖かく見守ってくださった N 先生
見守ってくれたからこそ 私の母に 詳細を伝えてくださった

母が私を見る目がその時から少し変わったと思うのは
気のせいかしら




N 先生 御指導いただきありがとうございました!