ガラクタ煎兵衛かく語りき

台無し

日記


昭和30年初頭
私の父親は二つ違いずつの三人の娘を妻と共に店に連れていき
妻は妻で私を身籠っており
どんな状況が歌志内の食堂で展開されたのだろうかは想像に任すしかないだろうが

七歳 五歳 三歳 そんな三人の娘と身重の妻を従えて
どんな食堂(当時歌志内は新興都市だったのでそれは複数あったはず)で

彼はどんな食事をして どんなビジョンを人に(同僚にも)言えないまま貯めていて
ナイフなのかフォークなのか箸なのかレンゲなのか選択して

父のせきねんたるや 遅く生でしものの 測り知れないものがあります




翌年 目出度く? 男子が出生しました
私です
炭鉱街の皇太子です
現天皇より4年早いんですから

祖母 母 姉三人
お陰様で正しいジェンダー感を戴きました


さて ここで
私の父の野望の探索に勤しむはずが
ちょっと無理みたいです
あなたの息子は残念ながら力不足でした


知ってたよね だって あなたの眼は同僚には厳しくとも
わたしにはいつも優しかった
大会社の入浴場でわたしを誇らしげに抱いてくれた
わたしもそれなりに愛想を振りまいた

東京で遊び呆けているわたしを認めてくれた
後年 痴呆が入った時点で病床でたまさか私を視認し「助けてくれ」と言ってくれた


親類回りしたらどなたから見ても瓜二つ
父の死後にどこに行っても「ああ 〇〇さん(父の名)」
どんぐりまなこ 高い鼻 柔和な表情 快活な態度
しっかりと受け継ぎさせてました 


父からの教えの本質が一体何なのか
今 涙を拭きながらストロークしています

優しくあれ
その一言だと愚息は思っているのでございます

あ そうだ 父上 ゴメンネ 継げなくて

「いや まだわからん」
「へ?」
「おまえとて 若き頃には狼藉を働いたであろう」
「は?してません 記憶にないです」
「私は何でも知っている」
「そんなこと言われてもないですよ」
「あのときは?」
あへ? あ あんとき?


強制終了