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ゲシュ崩ログ 248 映画セイントとジブリ

映画

この前ジブリのカオナシというキャラクターに思い入れがあるんだーって記事を書いたけれども、やっぱり私はああいうカオナシ様らしいキャラクターに物凄く興味津々な人みたいで。映画、「セイントモード・狂信」っていう洋画があるんですけど、もう切ない。見た感想、切ない。凄くもどかしい。ラストネタバレあり。主人公の女性が、まさにTHEカオナシですよこれ。見た感じのあの謎の清貧の誓いのある信者っぽい布服がもう、カオナシっぽい。カオナシじゃんこれ。カオナシのスピンオフじゃんこれ。と号泣しそうだった。私の感想としては、「この映画はカオナシのスピンオフ映画」です。それに尽きた。チヒロを苦しめたカオナシさんでしたが、カオナシさんの怒りのため込み方とか、カオナシさんのブチギレ方とか、カオナシさんの人の恨み方とか、ジブリの子供向けアニメではねちっこく描写できないところを、すごくアダルトな描写も含めて、より深く鋭く創作したと思った。神隠しのカオナシさんもそうでした。カオナシさんの事を、知れば知るほど、「カオナシさんってむしろ神っぽい一面がある?実はすごくいい存在?」と思うんですよ。神隠しの世界では「一人で解決しろ」って湯婆婆みたいな大御所ですら、人助けをしないのに、そんな世界で千尋を救う救世主みたいな行動をしていたのがカオナシ。カオナシさんは神でもあるんだ…そして世界を破壊する暴動家でもある…という極端な相反する二面性。その両立!その、ありえない両立!という、不思議なギャップ萌えをさせてくれるのがカオナシさんで、考えれば考える程、カオナシさんのそのギャップと存在が説明する世界の残酷さとか世界観とか、もうカオナシだけでも映画一本できるな、と昔から思っていた。本当にカオナシさんみたいなキャラクターが主人公で、映画一本できてた!びっくりだよ。カオナシさんがそうだったように、セイント、の映画の中の主人公モードさんも、見た人に悲しい怒りというか、悪いのに悪くない…でも悪い…でも…みたいな壮絶な煩悶を与えてくれました。ジブリのカオナシさんは、極端な破壊行動をした後、大人しくなって老婆と一緒に住んだけれども。…ああそう考えたらやっぱりこの映画って、カオナシのあの映画のその後…なんじゃ??とか邪推してみたりして。そうだと言ったらそうでも通ってしまうくらい、カオナシすぎる。自分がなくて、無いにも関わらず他人の尺度に完全に染まりきる事ない変な自我執着があり、他の概念を都合よく拝借し、悪事を罪悪感の薄いままで遂げてしまうというあのカオナシそのものだった。この映画はアンチ宗教っぽい側面があり、狂信者が主人公であるけれども、娯楽映画です。アンチ宗教、宗教が悪いとこの映画を見て思う人がいてもおかしくないだろうな、という雰囲気もありました。主人公のモードさんは、なんていうんだろう、とてもか弱い女性。全体的にか弱い。モードさんに救いの手を差し伸べる人もいっぱいいたのに、モードさんは孤立していく。そこが悲しい。どうにか助かれ~と思うけれど、モードさんの清廉潔白さがいつもそれを邪魔するというか。水清すぎて魚住めずを体現している人だった。昔、高潔過ぎて餓死した中国の偉人がいたそうです(伯夷叔斉という四字熟語をググれ!)その話の悲しみに似てますね。魂が汚れなさすぎる人がどんどんと深みに…というこの手の恐怖話、私は終わりなく延々と注視関心際限なくなってしまうみたいです。悪い人が悪いほうこうに~っていう話じゃなく、伯夷叔斉というこの厳然たる何千年もの長き歴史が教える目を背けてはいけない真理が、物凄く人間として熟考するべきでは?と思うんですよね。孤独がどれだけ人間をダメにするか、孤独でいることのリスクとは、殺人も含まれるのだという事が、ただの作り話に思えないから凄く怖い映画だった。ジャンルホラーだったから、怖い…という感情になって正解ですね。ラストのあれはもちろん非現実的すぎるので、暗喩に継ぐ暗喩、罪のメタファーの肉、肉体が滅び、つまり罪がちょとした小手先で許されて魂はそれをわかって笑顔で天に上るという幸せな精神世界を描いているんだと思った。ネタバレだなこれ。精神世界の描写だからラストはあんなヘンテコな感じだったんだと思う!精神世界のような、非現実的でもとても大切な人間の知的財産みたいなものを現実世界で形にして作ってしまう映画製作の人って本当に凄い。ほんとにもう、宇宙~。って。宇宙の神秘思った。