テレビで毛沢東時代の凄惨な飢餓と文革時代の
日記
2023/05/22 01:35:49
テレビで毛沢東時代の凄惨な飢餓と文革時代の狂気じみた大量殺戮の歴史を見た。 私が過去に色々な資料で見た記憶や文革時代の猟奇狂気じみた殺戮の歴史より柔らかく報じていたように思う。 ===========
中華人民共和国大飢饉中華人民共和国大飢饉 (ちゅうかじんみんきょうわこくだいききん、英語: The Great Chinese Famine)または3年大飢饉 (さんねんだいききん、中国語: 三年大饥荒/繁体字中国語: 三年大饑荒/拼音: Sānnián dà jīhuāng )とは、1959年から1961年までの中華人民共和国の歴史において広範にわたり発生した、大規模な飢饉である[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] 。一部の学者は、1958年または1962年もこの期間に含めている[8] [10] 。この大飢饉は、人類史上最大級の人為的災害の1つであり、飢餓による推定死亡者数は数千万(1,500万〜5,500万以上)人にも及び、史上最悪な飢饉であったと広く見なされている[3] [4] [5] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] 。なお、この期間中の犠牲者はすべてが餓死によるものではなく、そのうちの6%から8%が拷問や処刑によるものとされる[18] 。 ==============ウィキより 詳しくは本にもなっているし大量の資料がまだ残っていると思うが私が当時見た資料は見つからなかった。 そして文革時代の猟奇狂気じみた異常な殺戮は私の身近な所で起きていた。 当時小学生だった私は理科の宿題が生物の研究を課された。 何でも良いので生物の実態を調べて其れを書くと言う事だった。 意味が解らないので何度か先生に生物とはと質問すると生きている物なら何でも良いとの事だった。 で私は学校帰りに必ず会う猫の研究をする事にした。 どこで会う猫はどんな形と模様をしていてどこの家の猫でウンチはどこでして其のウンチの色はと3匹程目星を付けてウンチをする場所とウンチを棒でつついて中身の色も書いた。 母が其れを見て絶対に猫のウンチのレポートなど絶対にダメだと言う。 今から考えると実に理にかなった生態を知る良い研究であったとおもう。 何せ3匹の猫のウンチはそれぞれに特徴があったからだ。 そして其の家の猫の家に行って何を猫のご飯にしているのかを聞いた。 其の家が与えている猫の餌によってウンチの中身が決まると言う小学生にとっては画期的な発見である。 母にそんなのは宿題として出させないと言う剣幕に 仕方なく私は別の生物を探す事にした。 其の時に長い事空き家だった事務所に一人の赤いコートを着た今から考えるとムーミンのアニメのミイの様な頭をした叔母さんが引っ越してきた。 彼女は一人の下僕を連れてきて其の下僕を棒で叩いて働かせていた。 彼女も生きているので生物である。 私は彼女の事を夏休みの生物の自由研究の対象にする事にした。 最初に外見と見た目の姿と背丈を聞いてノートに書いた。 まず彼女の肌を触らせてもらった。白くつるつるとして白磁の陶器の様だったので白い瀬戸物様な感じとノートに書いた。 其れから毎日学校帰りに其の事務所の窓から彼女を覗いて様子を見て聞き耳を立てた。 まず彼女曰く朝鮮から連れて来た下僕は棒で叩かないと働かないので棒で叩く事。 本当に其の下僕は彼女が居ないと何にもしなかった。 彼女に言われた事だけをしてみてない所では粗雑な行動をとった。 私は其の露骨な態度に驚いた。 朝鮮人の下僕の扱い方は棒で叩くとノートに書いた。 彼女は中国から朝鮮半島に渡って其処で下僕を雇って其の後に神戸について更に北海道にまで逃げてきていた。 時々電話をして自分の家族は中国人に酷く残酷な凄惨なリンチを受けて殺されて泣いていた。 私は彼女から子供に言っても解らないだろうけどと言いながら彼女の嘆きの聞き役になった。 彼女の家は古い学者の家で漢字の専門の学者だったらしい。 何故中国の漢字の歴史学者の一族がそんなに凄惨で聞いても恐ろしくて夜中にうなされておびえる様な残虐な行為を近所の人達にされて殺されなければならないのか理解できなかった。 しかも彼女に対する追ってが迫っていた。 彼女が来て何か月たったのかは解らないが彼女は荷物をまとめていた。 もう会えないと言う。荷物をびっしり詰めた大きなカバンを二つに入らなかった幾つかの本を私のランドセルに詰めると私の背中をどんと押して急いで逃げる様に言った。 彼女は車に乗ると凄い勢いで車がユーターンするのを見ると私も必死になって家に向かって走った。 顔を真っ青になって家に帰って来た私の様子に祖母が何があったのかと聞いた。 私は理科の宿題が悪い人に追いかけられて捕まると殺されるので逃げたと話した。 猫のウンチがだめだと言われたので其の叔母さんも生き物なので・・と今までの事とノートを見せた。 そしてランドセルに入れられた複数の漢字の本を見せた。 祖母はノート見て真っ青になって誰にも言っては行けないと言った。 祖母が其れをガラス戸でしまう様になっている高い本を入れる本棚に入れた。 其れが私が身近に感じた文革の恐ろしい恐怖の一端である。 子供ながらに中国の内部で今起きている事は間違っていると感じた。 其の国の歴史を否定して其の研究者だけでなく一族まで残酷に殺すと言う行為に子供でも怒りと恐怖を感じた。 大人になってから色々な資料を見て当時の凄惨で残酷で残虐な大量殺戮の歴史が解ってきて其処から逃げて来た人だったと解った。 中国3千年の歴史と言って中国人が自慢げに言うたびに腸が煮えくり返る。 そんな歴史は今の中国には無い。 彼らは其れを否定して破壊して其れに関わる人達をことごとく残虐な行為をして殺戮しまくったのである。 今更何を言っているのかと思う。 それと同時にそれから逃げて来た人達を日本政府は守らなかった。 彼女は日本が守ってくれないので自分達を守ってくれるアメリカに渡って行った。 私は子供ながらに此の国は何と情けない国かと失望した。 理科の生物の宿題は祖母の助言もあって猫のウンチになった。 私は堂々と猫のウンチと餌の関係と其々の猫のテリトリーを書いて出した。 評価されなかったが私は今でも生物の基本的な立派な研究だと思っている。