gen_rin

時の記念日

占い

ニコットおみくじ(2023-06-10の運勢)

おみくじ

こんにちは!梅雨前線が停滞する影響で、

九州から関東は太平洋側を中心に所々で雨。
北陸、東北は晴れ。
北海道は午前に雨が降る。
沖縄は曇り。

【時の記念日】 anniversary of Time

☆日本の記念日の1つで、毎年6月10にです。
 日本で初めて時計によります時の知らせが行われましたことを記念して
 制定されました。

 *時計・・・漏刻(ろうこく)

 [漏刻]

 水時計です。

 日本では斉明天皇6年(660年)5月、
 中大兄皇子様が始めて漏刻をお作り時を知らせまして、
 天智天皇10年(671年)4月25日、
 漏刻を新天文台に据えまして、鐘や鼓(つづみ)で時を報じましたと
 「日本書紀」に記されています。

 *天智天皇10年4月25日・・・現行暦の6月10日

 〔日本書紀〕

 720年(養老4年)に成立しました日本初の正史です。
 
 いわゆる六国史の第一。
 神代より持統天皇の代までを漢文で編年体に記しています。

 ≪六国史≫りっこくし

  官撰(かんせん)の6種の国史の総称です。

  *官撰・・・政府で編集、又は選定しますことです。
        また、その書物のことを指します。

  ・日本書紀           ・続日本書紀

  ・日本後紀           ・続日本後紀
 
  ・日本文徳(もんとく)天皇実録 ・日本三大実録

  この6つがそれであります。

  国史の編纂は古く、7世紀聖徳太子様の時に
  「天皇記」以下が完成したといわれていますが、現在は伝わりません。

  天武朝(672年~686年)に史局が開設されまして、
  それが「日本書紀」となりまして720年(養老4年)に完成しました。

  以来、相次ぎまして国史が編纂されまして、
  これによりまして神代から887年(仁和3年)までの国史が残されました。

  いずれも中国の史書に倣(なら)いました編年体の漢文の国史で、
  薨卒(こうそつ)の条には詳しい伝記を載せまして、紀伝体を兼ねます。

  なかでも・・・

  ・文徳実録

  ・三代実録

  これらは記述が豊富で、記事が正確です。

  これらすべてが古代史研究の根資料です。

  六国史以降もしばしば史局が開設されまして、
  官撰の国史の編述が計画されましたが、いずれも完成しませんでした。

  『書名』

   成立当初「日本紀(にほんぎ)」と呼ばれましたが、
   平安初期の頃から「日本書紀」と呼ぶようになったと推測されています。

   「日本紀」が国史、即ち勅撰(ちょくせん)の歴史書という
   普通名詞でもあります。

   また、平安初期に成立しました第二の国史を「続日本紀」といいました。
   その為、態々(わざわざ)「日本書紀」といいましたのではないか?

   しかし・・・

   なぜ?「書」の字を加えましたかはいまだに適確な説をみません。

  『成立』

   その成立時期につきましては「続日本紀」の
   養老4年(720年)5月癸酉(きのとのとり)(21日)条に
   「先是(これよりさき)、一品舎人親王(いっぽんとねりしんのう)
   奉勅修日本紀。至是功成奏上。紀州巻、系図一巻」とありますので、  
   明らかでありますが、編纂開始の時期や編纂の経緯は
   必ずしも明らかではありません。

   「日本書紀」の天武天皇10年(681年)3月
   (丙戌(ひのえいぬ)(17日)条に、
   「天皇……詔川嶋皇子・忍壁(おさかべ)皇子(十人略)、
   令記定紀(ていき)及上古諸事」とみえ、
   天武天皇が川嶋皇子以下に命じまして歴史書編纂事業を
   開始しましたことが知られています。

   一方、「古事記」序文にも天武天皇が舎人稗田阿礼(ひえだのあれ)さんに
   命じまして「帝皇日継(ていおうのひつぎ)」(帝紀)と
   「先代旧辞(せんだいくじ)」を誦(よ)み習わせたということが
   みえます。

   記紀の2書にみえます編纂事業を同じものとみますか別と考えますかで
   説が分かれますし、別としますならば両者の前後関係も問題となりますが、
   史料の不足もありまして、いまだ決定的な説は現れていません。

    平田篤胤(ひらたあつたね)さんは両者と同じこととしますが、
   皇子以下の堂々たる陣容と稗田阿礼さん1人とでは格差がありすぎまして、
   到底同一事業とは考えられません。

   一は公的、他は私的事業の感が深いです。
   記紀にいいますところを別事とみます説では、
   まず紀前紀後説があります。

   681年に命じました編纂事業が思うように進捗しませんでしたので、
   天皇は改めて阿礼さんを相手に記定事業を始めたというもので、
   これによりますと681年の事業は「古事記」編纂の遠因とはいえますが、
   直接の起源でなありません。

   次に記前紀後説があります。

   つまり・・・

   阿礼さんを相手に始めました作業が意外に手間取りますことを
   知りました天皇は、川嶋皇子以下に命じまして、
   別途に編纂事業を開始させました。

   これが書紀編纂に繋がりますものです。
   それとは別に阿礼さんの誦習(じゅしゅう)しますところは、
   「古事記」として結実したと説くものです。

    なお、681年の当初から「日本書紀」編纂が意図されたとは
   考え難いとして、書記編纂の開始を
   「続日本紀」和銅7年(714年)2月戊戌条の
   「詔従六位上紀朝臣(きのあそん)清人(きよひと)さん、
   正八位下三宅臣(みやけのおみ)藤麿呂さん、令撰国史」の
   記述を求める説もあります。

   しかし、清人さんらの官位が低すぎるのが難点でありまして、
   結局目下のところ記前紀後説が最も穏当と考えられています。

 <水時計のやり方>

 2~4段の木箱を置きます。
 一番上部の木箱に水を満たしまして、
 管によりまして順々に水を下段の箱に送り込みます。

 最後の水槽に目盛り付きの浮き子がありまして、
 その浮き沈みで時刻を知ったと推定されています。

〇漏刻の遺跡の可能性

1981年(昭和56年)9月から12月にかけまして、
奈良国立文化財研究所が行いました飛鳥水落(あすかみずおち)遺跡の
発掘調査によりまして、この遺跡が660年日本で初めて造られました
漏刻の遺跡である可能性が極めて強くなっています。

問題 天智天皇を祀ります近江神宮では、
   毎年時の記念日に漏刻祭が行われます。

   近江神宮は何の聖地かを教えてください。

1、小倉百人一首

2、上毛かるた

3、建国

[近江神宮]

住所  :滋賀県大津市神宮町1番1号

電話番号:077-522-3725

滋賀県西部の大津市中央部にほど近い、琵琶湖の西岸の山裾にあります。

<アクセス>

JR各駅からJR東海道線石山駅又は膳所(ぜぜ)駅。
そこから京阪に乗り換え、近江神宮前駅下車。
下車しまして徒歩約9分です。

京都市営地下鉄又は京阪直通東西線でびわ湖大津駅で石坂線に乗り換え、
近江神宮駅前駅下車。
下車しましてから徒歩約9分です。

ヒント・・・〇正解

      秋の田の刈穂の庵(いほ)の苫を荒み

      我がころも手は露に濡れつつ

                         作者:天智天皇

お分かりの方は数字もしくは近江神宮は何の聖地かをよろしくお願いします。