ゲシュ崩ログ290 日記を書くのは裏がある人
ちょっと読み物読んでたら、「日記を書くのは裏表のある人間」という記述が。しかもあの有名な高名な崇高な人類財産の作品に。びっくり。このブログでもう二百九十日以上日記書いてるけど、まさかその理由は「裏表がある陰湿な人間だから」という理由だと思われる人がいるとは…とちょっと悲しかった。もしかしたらそうかもしれないけど、私の場合この日記を書く理由になったのは、夫が通院する事になったあたりから、それに付随して色々と自分の整理の為と、子供が読んでくれたらいいな~と思って書いてるけど、読むかな?そのうちごっそり自分で製本して子供に贈ろうかなと思ってるけど、そうやっても読まないかもしれない。あんまり楽しいかどうかわからない。子供がカワイイ時期にカワイイ発言とか行動を記したくなる。っていうのはもう本能的な行動に近い衝動みたいなのもあるんじゃないかな。と思ってたんだけど、日記を書く人は裏表があるからという理由はあんまり考えてなかった。でもそう思う人もいるし、色んなにんげんが世の中にはいて、本当に色々考えはあるんだな…といつもながら今日もしみじみ反省した。
夏目漱石といえば「吾輩猫である」って言ったけど、そういえばらんま二分の一のらんま君も一瞬猫になってた時があったなぁ…。そういえばジャッキーチェンも猫拳を何かの映画で使ってたな。一流は時に猫になりきるのか。猫になりきれるかどうか。一流か二流かの分かれ道、っていうのが真実だったら……。いかんいかん。あんまり変な事考えず子供の服でも作ろう。近頃暑くなってきた。はっ…そういえば、時代の寵児でいまや爆発的人気キャラの「ちいかわ」は猫だった。作家のナガノ先生がネコになりきる事ができる人だから一流だったのか。うちの夫(神)は「こんな簡単なイラストで人気でて売れたなんて…そんなん誰でもかける~~」と憤っていた。よくわからんけど、もしかしてイラストがうまかったり出来る人からみると、ちいかわの絵は簡単に見えるのかもしれません。でもそういう簡単風なイラストだという事じゃなく、主人公猫、っていう事が…もしかしたらすごく大ブレイクの決定打だったのかな。吾輩は猫である、が今日にもこんなに有名なように、ナガノ先生の「ちいかわ」も永遠に人気作なのかな。