うろんころんの雑記帳

うとうと

何にもなかった(と思う)日
目まぐるしく移り変わった日
嬉しいこと悲しいこと腹が立つこと心震わせること
その日、その時、その瞬間
心に刻んでおきたい風景を書き留めています

雨の父の日

人生

仮想タウンでキラキラを集めました。

2023/06/18
キラキラ
集めた場所 個数
コーデ広場 6
ニコット山 4


生前は大嫌いだった人。
父と遊んだ記憶はキャッチボールだけ。
野球は好きで会社の野球チームでキャッチャーをやってたからな。

私が陸上部で近畿大会に出るとき、
朝の自主練習に付き合ってくれた。
マラソン見るの好きな人だったな。

それ以外には父の存在感がない。
すべては母親任せ。
離婚の危機があったことさえ知らなかっただろうな。

でも、亡くなってみると不思議と嫌なことは思い出さない。
嫌だと思ったいい加減さも、なんでも許してくれた寛容さかと。
自己中心な奴と思ったけど、相手も自由にさせて口出ししなかったし。

母には相談相手にならなくて大変なパートナーだっただろう。
でも、子供の立場ではそう悪い奴でもなかったのかも。
母の苦労を見ていて嫌っていただけなのかもしれない。

そんなことを考え始めたのは、いい加減な従弟をみているから。
父には聞けなかったことを、しつこく聞いている。
「自分の都合だけで動かないで! こっちにも都合があるんだよ」
「勝手に決めて、一人でできないでしょ! 私の意見も聞けよ」
「なんで、そうなの!? 何考えてんだよ(-”-;)」
「ちゃんと説明するまで許さないからね!」

移住して8年間、このわかんない奴と関わったために、
父の心の動きなんかが少しわかってきたような気がする。
もっと話し合えたらいい父親で、母との橋渡しもできたのに。

予想外に短命だったなぁ。
今年は17回忌。
あちらでも女子にもてようと奮闘してる頃だろう。

  • うとうと

    うとうと

    2023/06/20 23:54:20

    よみさん
    お父様なくなっておられたのですね。
    短気で我儘はうちも同じ。男子厨房に入らずの世代なので、
    初めから共働きでも家事と育児は母の仕事。
    母には手をあげても子供にそうしなかったのは、子供の存在に無関心だったからみたい。
    そんな母が認知症になって、初めて厨房に立つ羽目になったときよく指を切ってたのは、
    痛みをわからせようとした神様の采配^^;
    墓所は2区画隣り合わせで作りましたので、母の墓参りの時ついでに父にも挨拶はしますね。

  • よみ

    よみ

    2023/06/18 14:59:36

    うちの父と同じ時期に亡くなったんですね。
    あの頃ニコタはまだなかったからな…(あるいは、お試し版で存在を知らなかった)
    わが父は、短気で、我儘で、自分が常に正しいと思っている人でした。
    勘違いや早とちりで怒鳴られたり殴られたりしたこともありました。
    リストラされて母が働きに出るようになっても、家事は一切やらず、お茶すらも自分では淹れない人でした。ごはんをよそって前に置くと、「茶が先だろうが!」と怒られました。
    父なりに私と歩み寄ろうとしていた部分があったことは分かっていますが、今でも思い出すのは嫌なことの方が多いですね。
    仕事を失くしても困らないように保険をしっかりかけていたことや、亡くなった後も暮らせるように住宅ローン相殺の契約をしていたり、先を見据えた頭の良い人だったようです。

    就職が決まらず低時給バイトばかりしていた私が、亡くなる前に地元では知られた広告会社に(バイトですが)入社できたことが、唯一の親孝行だったかなと思います。リストラされましたけど!

    先日、「父の日は忘れられやすい」という特集がありましたが、案の定、私は忘れています^^;
    お墓も遠いので、わざわざ行こうとも思いません。
    当日は日曜日だから、ニュースとかでもやらないんですよねー。