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おおむら花まつり

グルメ

こんばんは!19日(月)は、西日本から北日本では晴れるでしょう。

ただ、東海から関東甲信や北海道は雲が広がりやすく、
所によりにわか雨がありそうです。
南西諸島は曇りや雨となり、雷を伴って激しく降る所もあるでしょう。

【おおむら花まつり】

☆おおむら花まつりは、春から初夏にかけて、
 桜、石楠花(しゃくなげ)、花菖蒲等、多くの花が咲き誇ります。
 期間中は大村公園でライトアップが実施されまして、
 昼間とは違います花姿を楽しむことが出来ます。

 [大村公園(おおむらこうえん)]

  「日本さくら名所100選」の地であります。

  大村公園は県内有数の花の名所として知られています。

  慶長4年(1599年)大村藩初代藩主の大村喜前(よしあき)公が
  築城しましてから12代純煕(すみひろ)公の幕末までの270年余り、
  大村氏の居城がありました玖島城跡(くしまじょうあと)にありまして、
  「日本の歴史公園100選」の地にも選定されています。

 〔玖島城跡〕

  大村市民に親しまれています大村公園は、
  桜や花菖蒲の季節には県内や県外からも沢山の人が見物に来ます。
  公園は初代藩主大村喜前公が築きまして、
  12代藩主の純煕公まで270年余り、
  大村藩の政治の中心になりました玖島城跡です。

  戦国時代の終わり頃から鉄砲が使用されますようになりますと、
  戦争の方法が大きく変化していきました。
  鉄砲や大砲から城を守る為に高い石垣を築きまして、
  水を張りました掘を巡らせていきます。

  その為・・・

  城を築く技術が大変発達しまして、櫓(やぐら)や堀を造りまして、 
  天守まで建てるようになりました。
  また、城造りの専門家や職人集団も生まれました。

  領主は家来を城下に集めまして、
  城下町を造りますのに便利な所へ城を造る必要がありました。
  こうして今までの山城から、平山城や平城に変わっていきました。

  こうした中、天下を治めていました豊臣秀吉公が無くなりますと、
  秀吉公の後に誰が天下を取るか決まらず世の中が不安定になりまして、 
  大名達は戦乱に備えまして城を築き始めました。

  喜前公も三城城に替わります新しい城造りにかかりました。
  始め杭出津の地を選びまして築城を始めましたが、
  玖島の地が城に適していますことが分かりまして、
  玖島に築城することになりました。
  玖島が選ばれました理由は三方が海に囲まれまして、
  敵から守りやすく、敵が攻めにくい海城を造りますのに
  適した場所だからです。

  ≪三城城(さんじょうじょう)≫

   戦国時代から江戸時代初期に肥前国彼杵郡大村武部郷にありました
   日本の城です。

   *肥前国彼杵郡大村武部郷・・・現:長崎県大村市三城町

   大村氏の中心部近くにありまして、JR大村線の山側にあります。
   東の多良(たら)山系から続きます丘陵の末端部に造られました平山城で、
   南の本堂川(ほんどうがわ)を堀代わりにしています。

   *本堂川・・・大上戸川(だいじょうごがわ)ともいいます。

  大村喜前公は、秀吉公の朝鮮出兵の際に名護屋城や壱岐の勝本城の
  築城を手伝いまして、中央の新しい城造りの技術に触れています。
  また、朝鮮の地では各地に日本式の城を築きまして戦いの拠点にしました。
  このような城は倭城(わじょう)と呼ばれています。

  喜前公は順天の倭城に立て籠りました時に、
  海に囲まれました城は守りやすく攻めにくいとの教訓を学んだといわれ、
  このような経験が玖島城の築城に活かされることとなります。

  玖島城築城の工事は慶長3年(1598年)の末から始まりまして、
  翌年の慶長4年(1599年)に完成しました。

  築城されました頃の大手口は城の北側にありまして、
  大手口に入ります道は大村小学校と寺井医院との間に道が延びていました。
  現在でも自然の石を積みました野面(のづら)積みの石垣と、
  土を固めました土塁が残っています。

  慶長19年(1614年)に2代藩主純頼(すみより)公の時に、
  玖島城の大改修が行われました。

  改修につきましては、
  肥後の大名で熊本城を築きました加藤清正公が喜前公と親しかったことから、
  清正公の指導を受けたといわれています。

  この改修で大手口の南側に移しまして、
  大手門周辺は石を加工しました「打ち込みはぎ」と呼ばれます方法で
  石垣を築きました。
  今も大手口から板敷櫓の方に向かいまして美しい曲線をしました
  石垣が残っています。

  城の中は本丸、二の丸、三の丸からなりまして、6つの櫓を建てました。
  本丸には天守閣が無く、藩主の館や藩の政治を行う場所が置かれました。
  城の周りには堀を巡らしまして、
  海の中にも捨掘(しゃぼり)等を巡らせまして、
  敵が簡単に近づけないようにしました。

  城の周辺に藩の政治を取り仕切ります藩会所(はんかいしょ)、
  藩主の別邸の桜田屋敷、藩内の産物の取引にあたります産物会所、
  土木工事等にあたります譜請役所、藩の学校であります集義館等が
  建てられました。

  *集義館・・・後に五教館

  海側には米を貯蔵します新蔵、その積み下ろしをします新蔵波止等が
  造られました。

  また、藩主の船を治めました御船蔵もありまして、
  現在もその跡を見ることが出来ます。
 
  玖島城は一度も戦火に遭うことはなく、
  明治4年(1871年)の廃藩置県によりまして役目を終えました。

  〔大村公園の整備された園内〕

  大村湾を望みます玖島崎の城跡を中心に桜と花菖蒲の公園として
  整備されました園内には3月下旬から4月中旬にかけまして、
  ソメイヨシノ、国指定天然記念物「オオムラザクラ」を含みます
  約2000本が次々に咲き続けます。
  5月下旬から6月上旬には約10万株およそ30万本の
  花菖蒲が見頃を迎えます。
  3月下旬から6月中旬のおおむら花まつり期間中は、
  ライトアップも楽しめ、多くの花見客で賑わいます。

  <住所>

  大村市玖島1丁目43番地

  <アクセス>

  ・長崎自動車道大村ICから車で約15分

  ・長崎自動車道木場スマートIC(ETC専用)から車で約10分

  ・JR大村駅からバス約10分「市役所前」バス停下車

問題 こちらの料理名を教えてください。

1、大名煮

2、にごみ

3、おきりこみ/おっきりこみ

ヒント・・・〇大村独特の料理

      様々な行事にこの料理がつきものです。
      その味は各家庭の秘伝といっても良い程絶妙な違いがありまして、
      代々伝えられたその家独自の味があります。

      大きな鍋に細かく刻みました大根、人参、牛蒡(ごぼう)、
      蓮、ジャガイモ、里芋、椎茸、筍、蒟蒻(こんにゃく)、
      揚げ豆腐、蒲鉾、昆布、山の幸、海の幸等、
      そして落花生も加えまして、鳥の骨付き肉の出汁で炊き上げます。

      「筑前煮」と異なる点は、具材に下茹でしました薄皮付きの
      落花生が入りますことと、落花生の粒の大きさに合わせまして、 
      他の具材も1cm程に切られていることです。

お分かりの方は数字もしくは大村市の郷土料理名をよろしくお願いします。