Point of No Return
来月、再来月とクロールで大会にエントリーしましたが、昨日からクロールが絶不調。全く泳げない。
まだひと月あるので、焦る必要はありません。
でも、調子が悪くなっていつも思う事。
不調な時、それが自分の実力。
要素に分解したドリル練習は大事ですが、要素分解されているが故に、自分の欠点が如実に現れる。もちろん、だからこそドリル練習には意味があるわけですが、一方で上手く出来ていない時には詳細にこだわり過ぎて、泥沼になる。
調子が悪い時は、自分の不調に関連するドリル練習をたくさんする。でも、どうしても上手くいかないのなら、いったん細かいことは忘れて、とにかく泳ぐ。泳いでいる中で、少しづつ調整をしていく。その方が良いんじゃないかなと思っています。
普通に泳いでしまうと色々な要素が組み合わさるので、ネガティブな部分が飲み込まれて適当に胡麻化されてしまう。それは良いことではないけれど、そこで足踏みをするくらいなら、ごまかしも含めて全体を整えて、それから再び詳細に戻れば良い。
答えは一つしかない。
でも、解法はいくつあっても良い。
最後の結論が良ければ、それでいい。
近所の公営プールの水泳教室に申し込みました。
数か月、四泳法を教わります。
きっと色々な気付きがある。
それで速くなるかどうか、それは分からない。
でも速くなるために努力することが出来れば、納得できる。
プロじゃないんだから、結果がすべてではない。
結果がすべて。
そう思って50年を生きて来た身としては、結果がすべてではないという言葉はポリシーに反する。だけど、もう50歳を過ぎたからこそ、プロセスを楽しんでも許される気がしています。
楽しみ方も試行錯誤。
仮に結果がすべてではないとしても、常に考え、常に悩み、常にトライしていたい。そこだけは、外したくないなと思います。
きっとレッスンの参加者は、みんな私などより上手に違いないと思います。
みっともない泳ぎを披露することになる気がしています。
いいよ、それで。
昔、以前の職場の先輩に言われました。
「結果的に上手く言っていなかったとして、チンタラ動いている奴は文句を言われるかもしれないけれど、必死に走っていたいた奴には、結果がイマイチでも誰も文句は言わないものだよ」
自分が下手なのは、重々承知。
才能なんて、あるわけもない。
でも、あと一秒。
あと一秒、どうやって縮めるのか。
そこから逃げたくないな。
それは、自分が惨めになる。
ということで、また偉そうなことを垂れて、書き逃げですw
ではでは。