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なはの日

勉強

こんばんは!8日(土)は、九州から東北南部にかけては

雨の降る所が多いでしょう。
また、雷を伴った非常に激しい雨が降り、大雨の所もある見込みです。
これまでの大雨により地盤の緩んでいる所があります。
土砂災害に厳重に警戒し、低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に警戒してください。
東北北部から北海道は晴れ間もありますが雲が広がりやすく、
所によりにわか雨や雷雨がありそうです。
南西諸島は概ね晴れるでしょう。

【なはの日】

☆7月8日は語呂合わせで「なは」と読むことが出来ることから、
 県内のラジオリスナーで結成されました「那覇が好き友の会」によりまして、
 1999年に「なはの日」として制定されました。

 *ラジオリスナー・・・英語で「聞く人」を意味します言葉で、
            音楽を聴く人やラジオを聴いている人のことを
            指します。
            また、ラジオのリスナーは、  
            別名「聴取者」と呼ばれることがあります。

<概要>

〇歴史・文化

@絵図で探検!なはのまち

 琉球王国時代の首里・那覇は赤瓦の屋根がひしめく活気に溢れた街でした。
 独特の美しい街並みは戦争により失われてしまいましたが、
 当時の街並みや人々の暮らしぶりが描かれました絵図や屏風が遺されています。

[那覇市歴史博物館] NAHA CITY MUSEUM OF HISTORY

 〔フロア紹介〕

  ≪特別展示室≫

   国宝「琉球国王尚家関係資料」を中心に王国時代の美術工芸品や 
   文書・記録類を展示しています。

   美術工芸品には尚王家に伝わりました王冠をはじめとしまして、
   中国皇帝から贈られました王衣装や王国の栄華を物語ります
   華やかな紅型・絣(かすり)の衣装、琉球漆器、壺屋焼等があります。

   『紅型』

    「紅」とは色の総称で、「型」は模様を意味しますというのが定説です。
    色で模様を染めます染色技法をいいます。

    歴史としましては、琉球王布、首里等を中心に、
    神事や婦人の礼装として着用したことに始まります。

    14~15世紀頃に東南アジア等への海外交易によりまして、
    印度やジャワ更紗(さらさ)の技法を取り入れまして、
    沖縄独特の気候風土の中で育まれまして、
    独自の染物として誕生したといわれています。

    黄色、赤色、白色、青色等の原色が美しく、
    そこに草花、龍、鳳凰等の図柄が描かれまして、
    華やかさや壮麗さが特色ともなっています。

    お土産としましては、帯や着物が一般的ですが、
    手頃のものとしましては、Tシャツやブックカバー、アクセサリー、
    扇子、日傘等もありまして、とても人気があります。

   『絣』

    琉球絣とは、沖縄県で織られている織物です。
    
    主に絹糸を使用しました織物で、
    草木を原料としました染料の他に化学染料等が私用されています。
 
    琉球絣の特徴は、およそ600種にのぼります多彩な沖縄の自然や、
    動植物を取り入れました図柄です。
    
    図柄を活かして織られました反物が中心で、
    夏期を使用します壁上布(かべじょうふ)といわれる織物も
    生産されています。

    爽やかで美しい独特の幾何学模様の図柄は、
    琉球王府時代から伝わります御絵図帳の図柄が元です。
    古代の伝統の図柄に時代の間隔を取り入れまして、
    職人がオリジナル模様を作ってきました。

    糸を染め上げます際は、
    図柄を元に模様部分を1箇所ずつ手括りで締めあげていくという
    手間もかかります作業によりまして独特の絣模様を作りあげます。

    琉球絣の織りは、
    緯糸を経糸の間に道具を投げ込みまして手作業で織っていくという
    昔ながらの技法です。

    日々1~2m位ずつを職人が丹念に織り上げていきます。

    14~15世紀に中国、東南アジアとの貿易が行われましたことから、
    琉球王国へ織物技術が入ってきました。

    琉球絣は、沖縄王府に納めます貢納布(こうのうふ)として
    織られるようになります。

    貢納布は、首里王府の絵師が作りましたデザイン集であります
    御絵図帳(みえずちょう)の図柄を織物に完成させたものです。

    デザインや染色、織物技術は発展しまして、
    琉球絣の製造には島の女性達が従事していました。
 
    明治時代になりますと商品として琉球絣が市場に出回りまして、
    大正時代から昭和時代の初め頃には、
    沖縄県は多くの織子を養成しました。
 
    その後・・・

    絣織物の技術者の移住等により産地としての基盤が固まっていきまして、
    民間の工場も設立されて、沖縄県は紬の産地へと発展を遂げました。

    第二次世界大戦が起こりますと資材の供給が止まりまして、
    織物工場は閉鎖されます。

    産地は戦争の激戦地となりまして、
    多くの生産技術者の命と生産設備が奪われました。

    戦後、琉球絣は先祖から受け継ぎました伝統に、
    現代の間隔を加えて復活しました。
    その魅力的な多種類の模様と豊かな色柄で、
    様々な装飾品やインテリア用品が作られています。

   『琉球漆器』

    ・螺鈿(らでん)

    ・沈金(ちんきん)

    ・箔絵(はくえ)

    これらは中国漆器の技法から取り入れて発展しました。

    1609年薩摩藩によります支配以降、
    琉球王府が漆器の生産に力を入れまして、
    江戸の徳川将軍への献上器、諸大名への贈答品、   
    民間交易品として珍重されました。

    年間平均気温は約22℃、湿度約80%という亜熱帯気候は、
    漆器の生産には恵まれた条件と、
    デイゴ、センダン、ガジュマル等の漆器には、
    素晴らしい素材を持っています。

    琉球漆器の特徴としましては、
    加飾技術の堆錦(ついきん)、螺鈿、沈金が挙げられます。

    琉球漆器は加飾法が多種多様なことと、
    朱塗りと黒塗りのコントラストの斬新さや丈夫さが特色です。

   『壺屋焼』

    城跡から発掘されました高麗瓦が12~13世紀頃と思われるものが、
    最古のものとして考えられています。

    壺屋焼の特徴

    上焼:原料は島尻粘土のクチャ及びマーヂ等で釉薬を施しています。

    下焼:南蛮焼で原料は古我地、喜瀬等の粘土で、
       釉薬原料としては、具志頭長石、マンガン粒、
       珊瑚石灰等があります。

 住所  :沖縄県那覇市久茂地1丁目1番1号パレットくもじ4階

 電話番号:098-869-5266

問題 沖縄の玄関那覇空港とてだこ浦西駅を結びます交通手段を教えてください。

1、なはレール

2、ゆかレール

3、ゆいレール

ヒント・・・〇正解のレール 方言で「助け合い」

      琉球方言の「OOまーる(雇い回り)」を語源とします
      村落共同労働を意味します言葉からが由来となっています。

お分かりの方は数字もしくは那覇空港とてだこ浦西駅を結びます
交通手段をよろしくお願いします。

 






  • gen_rin

    gen_rin

    2023/07/08 23:45:36

    こんばんは!晴れの土曜日をお疲れ様です。
    土曜日のご多忙な時間帯にお答えとコメントをありがとうございます。
    ご存知でしたか、TVですが走っている姿を視たことがありますよ。
    はい、正解です。
    おめでとうございます(祝)
     そうですか、お寺へお参りに行く予定ですか。
    はい、ありがとうございます。
    ノエママン、どうぞお怪我等にもお気をつけて行ってらっしゃいませ。
    水分を持参するのも一つかな?とですね。

  • ノエル

    ノエル

    2023/07/08 20:50:46

    げんりんりん♥ちィ~ッすニャン♪ฅ^•ω•^ฅ
    週末土曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
    3、ゆいレール☆彡(`・ω・´)b
    明日は、当直仕事明けの夫氏と、お寺へ墓参りに行く予定ナリ~♪(^_-)-☆
    時節柄ご自愛くださいニャン☆彡(ミචᆽචミ)
    無理せず無茶せず体を労わりつつ、良い日曜を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥