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博多祇園山笠

レジャー/旅行

こんばんは!14日(金)は、東日本から東北では広い範囲で雨が降るでしょう。

雷を伴った激しい雨の降る所もある見込みです。
北陸では、土砂災害に警戒してください。
西日本や本街道も雲が多く、所によりにわか雨がありそうです。
南西諸島は概ね晴れるでしょう。

【博多祇園山笠】 はかたぎおんやまかさ

☆博多の総鎮守として知られます櫛田(くしだ)神社(福岡市博多区)の
 奉納神事です。

 毎年7月1日から7月15日にかけて開催されます700年以上の
 伝統を有する祭礼です。

 正式名:楠田神社祇園例大祭

 各地に伝わります素戔嗚尊(すさのおのみこと)様に対しまして
 奉納されます祇園際の一つで、博多どんたくとともに
 博多を代表する祭りです。

<概要>

「オイッサ」「オイッサ」と山笠を担ぐものが着用する儀礼装束を
着用しました男衆が山笠を肩に物を乗せて複数人で舁(か)きまして、
勢い水を浴びながら街を駆け抜けます博多祇園山笠です。

毎年約300万人もの観客が訪れます活気の集まりです。
770年余りの伝統があります。

男の祭りというイメージが強く思われがちですが、
老若男女大勢の人によりまして築き上げられてきました祭りです。

〇ユネスコ無形文化遺産

 平成28年(2016年)に果たしました。

[博多祇園山笠]

博多の総鎮守であります櫛田神社に、
山といあれます人形が乗りました出汁の一種を奉納します神事です。

〔目的〕

 京都の祇園祭りの影響を受けているといわれていまして、
 「町の人々が疫病にかからずに健康に過ごせるように願う」

 このような目的があります。

〇博多祇園山笠の特徴であります「流」

博多祇園山笠には幾つかの街が再構成されました集合体であります
「流(ながれ)」ごとに運営しています。

@流の起源

 豊臣秀吉公により行われました天正15年(1587年)の
 「太閤町割り」により生まれました自治体が、流の起源とされています。

@現在登板を務めますのは

 ・千代流          ・恵比寿流

 ・土居流          ・大黒流

 ・東流           ・中洲流

 ・西流

 これら7つの流です。

これらは合わせまして「七流(しちなが)れ」と呼ばれています。

主さ約1tにもなります山笠を舁きますには、大きな危険が伴います。

博多祇園山笠を成功される為には厳格な秩序が必要とされていることから、
流の中は縦の連携が連綿として受け継がれています。

@流れの中での役割

 ・子供          ・若手

 ・中年          ・年寄

 これらに分けられまして、それぞれの技量や体力に合わせて働きます。

 ★子供達

  祭りに参加しますことで、
  流の大人達の中で人間関係を学びまして一人前の男となりまして、
  下の代へと伝統を繋いでいきます。

〇歴史

現在の博多祇園山笠では、2種類の山笠が作られます。

@舁き山

 男衆が実際に担いで博多の街を舁き廻る為の勇猛な舁き山です。

@飾り山

 福岡の各指定場所に設置されます勇ましい武将の人形等を
 飾りました飾り山です。

実は昔は現在と異なる形で山笠が執り行われていました。

〇起源

鎌倉時代に聖一国師(しょういちこくし)さんという禅僧が
博多で流行します疫病を鎮める為に施餓鬼棚(せがきだな)に乗りまして、
祈禱水(きとうすい)を撒いて街を周りましたことが起源であるという説が
最も有力とされています。

*施餓鬼棚・・・施餓鬼で使用します祭壇です。
        施餓鬼とは無縁仏等の霊に供え物を施して弔うことです。

《聖一国師》様

 1202年~1280年

 鎌倉時代の高僧で東福寺(とうふくじ)(京都)を開山します。
 建仁2年(1202年)に現在の静岡市葵区栃沢(あおいくとちざわ)に
 生まれます。

 1歳にして誕生時の記憶を母に話します天才だったと伝えられています。

 「静岡茶の祖」として知られています聖一国師様ですが、
 うどん粉等を効率的に作ることが出来る水力式の製粉機械の図を
 宋から持ち帰りましたことから「うどんの祖」ともいわれています。

 〔静岡茶の祖、聖一国師様〕

  我が国のお茶は平安時代に最澄様や空海様等の僧侶が、
  唐(中国)へ留学しました際にお茶を持ち帰りましたのが
  始まりとされています。

  その後・・・

  鎌倉時代には栄西(えいさい)禅師(1141年ー1215年)が
  「喫茶養生記(きっさようじょうき)と表しまして、
  「茶は養生の仙薬となり、延齢の妙術なり」とお茶の効能を紹介した為、
  お茶への関心が高まりました。

  『静岡市のお茶』

   鎌倉時代中期に栃沢(葵区)生まれの聖一国師が、
   仏教の修行を終えまして、宋から帰国した際に持ち帰りましたお茶の種を、
   足久保「あしくぼ(葵区)」に蒔いたのが最初だと伝えられています。

  また同じ頃、栄西禅師からお茶の種を
  譲り受けました明恵上人(みょうえしょうにん)
  (1173年ー1232年)が全国に広めまして、
  その内の一箇所が「駿河の清見(きよみ)」
  「清水区興津(おきつ)付近」との記録がありまして、
  これらが静岡市のお茶の始まりとされています。

  当時飲まれていましたお茶は碾茶(てんちゃ)から作られます
  抹茶というもので、社交の道具として武士階級にも広く普及しました。

〇存続の危機!明治政府の「山笠禁止令」

博多祇園山笠がすっかり博多の街に根付きました頃、
山笠存続の危機が訪れました。

明治6年(1873年)からの10年間、文明開化の煽(あお)りを受け、
祭礼は利益の無いただの浪費であるとみなされて、
博多祇園山笠は政府により禁止されました。

当時は山笠が競うように絢爛豪華になっておりまして、
高さは何と16mに達していたと記録されています。

高い建物が無い時代だった為、15km先からでも山笠が見えたそうです。

祭りを楽しみにしている人から、すぐに嘆願の声が上がります。

その後、博多祇園山笠は紆余曲折を経て復活しましたが、
近代化が進みました博多の街には電線が引かれまして、
当時の背が高い形態の山笠では運行が困難になりました。

博多の人々は知恵を絞り、実際に舁く為の高さ3m程の舁き山と、
観賞用の飾り山に分けることで祭りの存続を図りました。

現在2種類の山がありますのはこの為です。

問題 2023年に開業しました福岡市地下鉄櫛田神社前駅。
    
   楠田神社前駅にとりましては初の山笠です。

   装飾列車も4年ぶりに運行するのですが、
   その装飾列車名を教えてください。

1、走れ!山笠号

2、復活!山笠号

3、燈籠!山笠号

*燈籠・・・とうろう

櫛田神社前駅地下1階には山笠の壁面装飾があり、
博多人形や博多織等、伝統工芸品80点の展示もあります。
福岡市地下鉄七隈(ななくま)線、空港線を利用しますと便利です。

*七隈線・・・福岡市西区の橋本駅から博多区博多駅までを結んでいます。

*空港線・・・福岡市西区の姪浜(めいのはま)駅から博多区博多駅までを
       結んでいます。

ヒント・・・〇OO!メロス

      太宰治さんの短編小説です。
      処刑されるのを承知の上で友情を守りましたメロスが、
      人の心を信じられない王様に信頼することの
      尊さを悟らせる物語です。

お分かりの方は数字もしくは4年ぶりに運行します装飾列車名を
よろしくお願いします。



 












  • gen_rin

    gen_rin

    2023/07/21 15:35:42

    こんにちは!蝉の声鳴り響く現在です。
    どうもお疲れ様です。
    おお~、1の走れ!山笠号です。
    どうもおめでとうございます(祝)
    あはは、ヒントをどうしようかと大変でした。
    ノエママン、どうもありがとうございました。

  • ノエル

    ノエル

    2023/07/21 02:03:49

    げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
    木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
    1、走れ!山笠号☆彡(^_^)v
    スゲェ大ヒントだね☆彡(´∀`*)ウフフ♪
    時節柄ご自愛くだしゃんせ~♪(^_-)-☆
    無理せず無茶せず、体を労わりつつ、楽しい花金を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥