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お菓子の日

グルメ

こんばんは!15日(土)は、

北日本から東日本日本海側では広い範囲で雨が降るでしょう。
非常に激しい雨の降る所もある見込みです。
東北では土砂災害等に厳重に警戒してください。
北陸も明け方にかけて土砂災害に警戒が必要です。
東日本太平洋側や西日本は雲が多く、所々でにわか雨があるでしょう。
南西諸島は概ね晴れる見込みです。

【お菓子の日】 confectionery Day

☆毎月15日はお菓子の日です。
 この日は、全国菓子工業組合連合会(全菓連)が制定した記念日です。

<概要>

〇お菓子の日

お菓子の神様を祀っている神社の例大祭が行われましたことに因みまして、
毎月15日に制定されました。

〇制定した記念日

1981年に全国菓子工業組合連合会によりまして制定されました記念日です。

〇なぜ?毎月15日なのか?

全国菓子大博覧会の第一回が、
4月15日を中心に行われていたのが元になりましたという説もあります。

[お菓子の博覧会]

 お菓子の博覧会は、お菓子の祭典として4年に1度、
 全国の各地を回りまして開催されています。

 その地域のお菓子屋さんが作っています菓子工業組合が主催していますが、
 地方自治体もバックアップします大きなイベントとなっています。

 〔歴史〕

  お菓子の博覧会の始まりは古く、
  明治44年の第1回帝国菓子飴大品評会に遡(さかのぼ)ります。
  
  戦争によります一時中断はありましたが、
  全国のお菓子屋さんの熱意で復活します。
  名称を全国菓子大博覧会と買えまして、
  1世紀に渡りまして、これまで26回の開催を重ねてきました。

  会場では全国よりお菓子が集められて展示、販売されまして、
  また菓匠(かしょう)によりつくられました工芸菓子が披露されます。
 
  優秀な作品には皇族によります・・・

  ・総裁賞

  ・内閣総理大臣賞

  ・農林水産大臣賞
 
  これらの賞等が授与されますが、
  全国菓子大博覧会での受賞は菓子業界の中でも最高の栄誉とされています。
  その為、賞を貰う為に全国のお菓子屋さんは日々研鑽をし続けています。

 〇第1回 帝国菓子飴大品評会

 @会期/場所

  明治44年4月10日、東京・赤坂溜池・三会堂(さんかいどう)を
  会場にして開催されました。

  ★三会堂ビル
   
   東京都港区赤坂1丁目にあります建築物です。
   
   1883年(明治16年)大日本農会・大日本山林会・大日本水産会の
   三会は、農商務省から東京府京橋区木挽町(こびきちょう)の
   土地・建物の貸与を受けまして事務所を開設しました。

   *東京都京橋区木挽町・・・現:東京都中央区銀座、歌舞伎座付近

 @会長

  田中芳男さん

 @名称

  菓子博は第1回及び第2回は帝国菓子飴大品評会という名称で、
  第3回から第9回までは全国菓子飴大品評会という名称で開催されました。
  第10回仙台での開催から全国菓子大博覧会という名称で
  開催されるようになりました。

 @開催経緯

  明治18年時の政府によりまして菓子に菓子税なるものが課せられました。

  ☆菓子税

   本来砂糖に課すものでありましたが、
   当時の不平等条約の下でこれが出来ず、
   その代わりとしまして菓子に課されたものです。

   [不平等条約] unegual treaty

    強国が相手国に対して結びました条約で、
    一方的に利益を享受、又は義務を課す内容を指します。

    16世紀にキリスト教国がイスラム教国との間に
    片務的領事裁判制を設定しましたのが起源といわれています。

    近代に入りますと19世紀に先進資本主義列強のアジア進出に伴い、
    アヘン戦争やアロー戦争を通じまして、
    武力を背景に列強が深刻と締結しました改革条約や、
    我が国との安政五か国条約を典型としますように、
    不平等の内容はさらに拡大されまして、協定税率制や租界、
    課税免除権や内地旅行券等の形をとりまして行われました。

    *開国条約・・・南京条約や北京条約、安政五か国条約

    これらの条約では欧米列強の居留民に領事裁判権の
    特権が与えられているのに反しまして、
    列国領土内の清国人や日本人に関しましてこの規律が無く、
    後進国の主権(法権)は片務的に拘束されています。

    協定税率制が清国や日本の主権(税権)を一方的に拘束するのに反し、
    列強側は関税自主権になんら拘束を受けずに、
    これも片務的でありました。

    相手における居留民保護や貿易条件は
    国交や通商を欲しない後進国側にとりまして
    考慮の対象外となりやすいことがこれを許した要因の一つです。
  
    領事裁判制の認められました日本との条約例では、
    列強側が法原理の異なります国の司法権から
    自国の居留民を保護しようとしたのに対応しまして、
    幕府側は難儀な責任を回避できると考えましたこと。
    また、協定税率制につきましては、
    列強国が後進国の税制を拘束しまして有利な輸出市場を
    確保しようとしたのに対応します。

    幕府側は税制の検討を無視せずに、
    むしろ貿易統制により列強が日本との通商を無益とみなす手段に訴え、
    条約自体の自然消滅を狙おうとしたこと等、締結の背景に挙げられます。

    従いまして、通商の拒否が不可能となりました時、
    不平等条約は後進国の国益を夥(おびただ)しく
    損なうこととなりました。
    
  全国の菓子業者はこれは悪税なりと菓子税撤廃運動を展開します。

  明治29年ついにその運動が実りまして廃止となりました。
  
   この撤廃運動のなかで培われました全国菓子業者の
   繋がりを大事にしようと・・・

  明治43年2月全国から300余名が集まりまして業者大会を開催します。
  東京で全国的な品評会を開催しようとの決議を行いまして、
  開催されるようになりました。
  以来、菓子博に際しまして、
  付帯行事として時期開催地等を決める為に、
  必ず業者大会が開催されることも恒例となりました。

問題 お菓子の神様はどの神社かを教えてください。

   一つは和歌山県下津町の橋本神社です。

1、兵庫県豊岡市の中嶋神社

2、京都市左京区の山陰(やまかげ)神社

3、愛知県あま市の萱津(かやつ)神社

ヒント・・・〇正解の神社

      お菓子の祖「田道間守命(たじまもりのみこと)」様を
      主祭神としています。

      「日本書紀」によりますと常世の国より最上の菓子を
      もたらしたと伝えられていますのが、
      ここ正解の市生まれの「田道間守命」様です。

      帝の命を受け、不老長寿を叶える
      「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を求めて、
      10年旅した果てに持ち帰りましたが、既に帝は崩御しています。

      持ち帰りました果物は「橘」で小振りな黄色い実です。

      住所:三宅1
     
      アクセス:JR山陰本線OO駅から全但バス奥野行き正解の神社前下車

      正解の市はかばんの産地です。

お分かりの方は数字もしくはお菓子の神様はどの神社かをよろしくお願いします。

    





  • gen_rin

    gen_rin

    2023/07/21 15:38:17

    こんにちは、数多いので大変のはずです。
    どうもありがとうございます。
    1で正解です。
    おめでとうございます(祝)
    そうですよね、豊岡は内陸なので行きにくい地域ですね。
    はい、暑いので気をつけましょうね。
    どうもありがとうございました。

  • ノエル

    ノエル

    2023/07/21 01:57:19

    げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
    木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
    1、兵庫県豊岡市の中嶋神社☆彡(^_^)v
    関西方面で、京都や奈良じゃない分、なかなか参拝する機会がねえだわさ!ε- (´ー`*)フッ
    時節柄ご自愛くだしゃんせ~♪(^_-)-☆
    無理せず無茶せず、体を労わりつつ、楽しい花金を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥