SE時代の事
この日記はかなり真面目な内容で自分の振り返りも含めているので読む方はご注意を・・・。
今は看護師の仕事をしていますが、実はその前はSEをしていました。私のSE時代はかなり前なので今でもこの状況なのかはわかりませんが、これからSEを目指す方の一つの情報材料になればと思います。あくまで私が現役時代の話、しかも出向型の企業だったため、「もうそんなもの使ってないよ!!」「うち社内SEだからそんなことやってないよ?」というツッコミは無しでお願いします・・・。逆に今SEやプログラミングしている人が見ていたら、「こんな言語今使っているよ」「社内SEはこんな感じだ」って言ってもらえると嬉しいかも。
さて、本題ですがSEやプログラマーは専属、例えば社内SE等もありますが、大部分は出向と言う形で派遣のような形を取っている会社が多いと思います。元同期がSEを続けており、今でもこの形の会社に所属しているため、この文化は続いていると思います。
この業界に入って最初に感じたのは、SE業界の中と外でイメージがとても乖離していたこと。世間的なSEのイメージと言うと、「プログラミングもできることが前提として色々できる人」・・・というイメージが強いかと思います。でも会社側の定義するSEってとても広いイメージで、例えば私が就職した会社は出向型だったのですが、コールセンター対応のスタッフもSEと言う形で取り入れてました。その他にもウェブデザイナー的な仕事をする人も会社上ではSE募集とか、中々不思議な会社でした。これが今でも続いているのかはわかりませんが、少なくても私の所属していた会社はそういうような雇い方をしていました。同期はこのような職場に出向した人もいましたが、この場合は勿論プログラミングの知識はあまり使わず。
私が出向した職場はバリバリのプログラミング部隊でハードウェアとしてプログラミングを使用する場所でした。使用言語はC++とVB。知識0で突入するC++は本当に苦痛の一言で、自分のプログラムの勉強が追いついてなかったのが今でも鮮明に覚えています。また、ネットワークの知識も必要で、本当に基本情報技術者の資格を持っている前提のような知識が必要でした。ネットワークの情報を解析するソフト(ワイヤーシャークとか今でも使われてるのかな??)等も使っていました。それだけでなく、他のチームを作ったプログラムをベースにして更にプログラミングしなければならないため、「・・・あれ?ここって土台のプログラム修正しなきゃまずくない??」となっても、話し合いの結果仕様と言う形で押し通されれば、仕様どおり動くようにこちらでどうにかしなければいけません。
しかもこれはあくまでプログラマーとしてのお仕事。SEの仕事は設計なので、出向先の相手と製品の打ち合わせをし、その仕様をマニュアル化しなければいけません。メソッドの使用やらフローチャートやらエラー対処やら。勿論納期も決めなければいけません。納期前になると土日出勤は当たり前。結局2年くらいで契約終了と言う形でその職場は離れ、本社に戻りました。いくつか次の職場の出向先の面談を受けましたが、不況の波が来始めリストラされ路頭に迷い、私のSE時代は終わりました。
私は化学系の大学からSEに行ったわけですが、リストラされたときは「あぁ、情報系の大学に行っていたらもっと上手くやれてたのかな?」と思ったりもしたのですが、完全に責任転換していましたね。そもそも、化学系なのにSEの企業に就職を選んだのは自分でしたし。当時の自分は少しPCに興味があるのを「SEとしてやっていける素質がある」と勘違いしていたのですね。化学系の企業に結構な数落とされたというのもありましたが。また、情報系の大学に行ったとして、当時の私は遊び呆けていたので、基本情報も取っていたか怪しいです。
無職になりその時の私は病んでおり、ここで人生が終わるんだなと毎日考えてました。アメブロにもその当時の日記は戒めとして残しています。勿論、今でも病むことはありますが、「明日職場行くのやだな・・・」というレベルで止まります。本当に追い詰められている時って、少し先のことも考えられず、過去の様々な嫌な記憶がグルグル回ってくるんですよね。そして冗談を言える余裕がない。
ちなみにこの時同期も出向先の確保に苦戦しており、やむを得ず本社の総務として雇われていた方もいました。それに選ばれなかった人は漏れなく私と同じ運命を辿っています。出向型の企業というのは要は派遣会社なわけで、出向先が不景気であれば雇止めも発生するわけです。私の所属していた会社は結局、他のグループ会社に吸収され名前がなくなりました。原因は少し利益が出たからと先の投資を見込み新卒を一気に今までの3倍近く雇ったこと。そこにちょうど不況が重なり各企業雇止めが発生し、一気に赤字転落したわけですね。同じくリストラされた同期はウェブデザイナーを目指したり、土木業に転職したりと様々でした。ここで生き残る事ができた方は本当に実力、技術のある方だと思います。私はというと、ニートを経験しアルバイトを経験し、たまたま受けた学費の安い公立の看護専門学校に奇跡的に合格することができ、今の自分に食いつなぐことができたわけです。ただ、SEでの業務経験は今でもとても役に立っています。例えば、病院勤務の看護師には看護研究というとてもめんどくさい論文があるのですが、仕様書でやっていたような製品をどう動かすか考えること(結果の予測)、それを説明するマニュアルや仕様の決定(研究方法や論文の作成)と言ったものでとても設計書の考え方が役立っています。SEは間違いなく経験してよかった仕事だと思います。また、勉強し続けなければいけないのは看護師もSEも同じですね。
生意気な言い方ですが、SE時代の私と今の私を比べたら間違いなく今の方が頭が回ると自負しています。なんとなく、今の自分だったら「SEできるかも?」と思うときもありますが、今は看護師。SEで挫折した経験があるからこそ、今の自分を形作ることができたんだと思うのでした。
余談
ちなみに看護学校に入学した際、同期に元SEの方がいました。私より6歳ほど年上で当時30前半でしたが、この方はリストラされたわけではなく、「SEに将来性が見いだせなかったから」と言う理由で看護師に乗り換えをしたそうです。当時必死に生きていた私は、「そんな能力あるのになんでこっちの世界に来たんだろう?」と思ったのですが、頭がいいからこそSE業界の未来を自分なりに見ていたのかも知れませんね。その方は看護師になってからも主任になれるほど頭の良い方でした。
レイト
2023/09/20 19:23:33
けいかさんへ
開発規模が大きくなると設計の他にメンバーの進捗・行程等、PM者としての手案が問われますね。
大変ですけど、要件定義~品質テスト・出荷まで一連の作業が完了した時は、感無量てす。
これは、どんな作業(仕事)でも同様、大変有用な事と言えると思います。
けいかさんは、現在はシステム開発の仕事にはかかわっていないと言う事ですが
以前培ったノウハウは、現在の仕事にも活かす事が多々あると思います。
頑張って下さい。
けいか
2023/09/20 19:02:29
レイトさん
設計しながら工程管理や顧客と上手く折り合いつけれる方は凄いですよほんと。
きっとどんな職業もこなしてしまう人なんだろうなぁって思っちゃいます。
業界から離れたからといってもう知識を閉ざすのではなく、なんとか今の仕事に使えないか考えていきたいですね!
レイト
2023/09/19 21:13:56
けいかさんへ
同感です。
SEと言えども所詮は人間
営業や顧客からの要望を聞きまくったら自滅
そこを上手く調整するのも仕事かなて...
どの仕事も大変ですが、面白い所がありますね。