新庄まつり
こんばんは!25日(金)は、西日本や北海道では雲が多く、
雨の降る所があるでしょう。
雷を伴った激しい雨の降る所もある見込みです。
その他の地域は概ね晴れますが、所によりにわか雨や雷雨があるでしょう。
【新庄まつり】 しんじょうまつり
☆毎年8月24日、25日、26日の3日間、
山形県新庄市で開催されます新庄まつりは、
藩政時代の宝暦6年(1756年)、
藩主の戸沢正諶(とざわまさのぶ)公が、
前年の大凶作で打ちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、
豊作を祈願する為に、戸沢氏の氏神であります場内天満宮の
「新祭」を領民あげて行いましたのが起源とされています。
《戸沢正諶》公
1722年ー1765年 江戸時代中期の大名です。
享保7年7月11日生まれで、戸沢正庸(まさつね)公の5男です。
兄の戸沢正勝(まさよし)公の養子となりまして、
延享2年出羽新庄藩藩主戸沢家5代を継ぎます。
宝暦6年前年の例外の為、幕府より米3000石を借りましたが、
日頃の備えが不十分であるとしまして、一時出仕と止められました。
明和2年9月20日に死去します。
享年は44歳でした。
<概要>
〇新庄まつり
大迫力の人形山車で知られますこの祭りです。
*山車・・・やたいと読みます
2023年山形「新庄」まつりは8月24日(木)から!
19台の山車が街を彩りまして、神輿渡御行列も登場!
@山形・新庄夏祭り
最上川水運の拠点や羽川街道の宿場として栄えてきました土地です。
平成に入りましてからは、山形新幹線の終着駅になる等、
最上地方の玄関的役割も担っている市になります。
★最上川舟運の発展
現在のように鉄道や自動車等、陸の交通機関が発達していなかった頃、
荷物を運びます手段は船でした。
最上川は江戸時代に山形城主最上義光公らによりまして、
上流から河口まで航路が開かれますとたちまち主要な輸送路となりまして、
舟運が発達していきます。
《最上義光(もがみよしあき)》公
天文15年(1546年)ー慶長19年(1614年2月26日)
戦国末・近世初期の武将です。
奥州菅領斬波家兼(おうしゅうかんれいしばいえかね)さんの子、
兼頼さんは延文元年から正平11年(1356年)羽州菅領として
山形に入部しまして、最上氏と名乗ります。
最上氏は最上、村山2郡を掌握しまして、
一族を領内に配しまして勢力を扶植していきました。
義光公は義守(よしもり)公の長子として生まれましたが、
父義守公は次男義時(よしとき)公を偏寵(へんちょう)しました為、
元亀元年(1570年)と天正2年(1574年)の2回に渡りまして、
家督相続をめぐる争いが最上家内で生じました。
これに一族、国人衆も加わります。
さらに伊達輝宗公も養父義守公を助ける口実で最上領内に侵入します。
*義守公・・・娘が輝宗公に嫁して政宗公を生む
義光公はこの相続内乱に勝ち抜きまして、
天正12年頃までには白鳥、寒河江(さがえ)の大江各氏や
天童八楯の中核天童氏も打倒して戦国大名としての地位を確立します。
一方で庄内方面でも11年義光公と通じていました前森蔵人さんが
大宝寺武藤義氏さんを攻めて自刃させます。
義光公はこの前森氏を助ける為、庄内に進出します。
16年十五里ヶ原合戦で敗北した為、庄内を失います。
また、甥の伊達政宗公とも対立しまして、
佐竹、蘆名(あしな)、大崎各氏らと伊達包囲網を作りましたが、
のちに孤立します。
小田原征伐の際は、父義守公の死もあり政宗公よりも遅参しましたが、
徳川家康公の仲介もありまして本領は安堵します。
朝鮮出兵の際は名護屋(佐賀県唐津市)に出陣します。
豊臣秀次さんには娘駒姫様を出しましたが、
秀次さん失脚の際に駒姫様も斬首され、菩提を弔い専称寺を建立しました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東北でも出羽合戦が起き、
上杉景勝公軍に攻め込まれまして苦境に陥りますが辛うじてもちこたえ、
戦後、家康公から庄内、由利を含みます57万石の領地を認められました。
山形城や城下町の建設、治山、灌漑にも尽力しました。
慶長寺のちに光禅寺に葬られました。
しかし、孫の義俊(よしとし)公の代、
元和8年(1622年)に最上氏は家臣内部の紛争で改易、
近江1万石の知行となります。
*知行(ちこう)・・・皇族や公卿、寺社に国務執行権を与えて、
孫国の収益を得させる制度
山形の物資は酒田から下関を通りまして、
上方や江戸へと至ります「西回り航路」で運ばれました。
*上方(かみかた)・・・現在の大阪や京都
行きの船には米、大豆、紅花、青芋、煙草等が送られまして、
帰りの船には塩、魚、茶、古手(古着)、雛人形、仏像、石燈籠等が
積まれてきました。
山形は江戸や上方と繋がることによりまして、
経済だけではなく文化的にも大きな影響を受けました。
河北町(かほくちょう)の紅花資料館や酒田市の本間家旧本邸等で知られる
雛人形はその代表です。
経済や文化の交流の舞台となりました最上川ですが、
1903年(明治36年)に奥羽本線が新庄まで開通します。
1914年(大正3年)に陸羽西線が開通しますと、
その役割は鉄道へと移り変わっていきました。
★18代の山車が色彩を放つ
10:00 新庄駅から続きますお祭りのメインロードにやってきますと、
前方から行列がやってきます。
先頭はお祭りの開催を知らせる横断幕を掲げて進んできます。
横断幕にもありますが、新庄まつりは2016年ユネスコ無形文化遺産にも
登録されましたお祭りです。
☆神輿渡御(みこし)渡御が練り歩く
山車行列の前を行きますのが神輿渡御行列です。
古式装束の行列が新庄の街を練り歩きます。
行列には武士が登場するのが特徴です。
15:45 神輿渡御行列が天満宮のあります新庄城址へと
還ってきます。
★鹿子踊りの奉納
本祭りの翌日、26日には後祭りが実施されます。
この日の見どころは、新庄城址(最上公園)の各神社に奉納されます
鹿子踊りです。
鹿子踊りとは、カモシカを象(かたど)った姿で、
五穀豊穣を祈り、舞を行うものです。
護国神社で奉納が実施されます。
問題 新庄市の名物にはラーメンがありますが、
ラーメン名を教えてください。
1、とりもつ
2、ぶたもつ
3、ぎゅうもつ
〇梅屋 さん
住所 :山形県新庄市千門町3-16
電話番号:0233-22-3910
正解らあめん 750円
トッピングは、正解のもつ、メンマ、ネギ、海苔、
中央に正解のもつがギッシリです。
もつは、砂肝、鶏皮、キンカン、レバー、ハツ。
ヒント・・・〇山梨県甲府市にあります蕎麦屋「奥藤本店国母店」さん
正解のお肉のレバー、はつ、きんかん、ひも等を、
甘い醤油のたれで煮詰めたもの。
甲府正解のお肉セット 定食:1400円
お分かりの方は数字もしくは新庄名物のラーメン名をよろしくお願いします。