「ジャニーズ問題」と宗教とか慣習
日本人がジャニーズ問題の反応が他の国との反応との違いに根本的な男性同士の性関係の考え方の違いがあるのではと思う時がある。
パワハラ性被害に対してと言うか未成年者性被害に関しては男女問わず其れに関しての反応は「卑劣な犯罪」である事には同じ反応だろう。
だがキリスト教の考え方と違って男性同士の性関係に関して同意が在れば日本は其れを批難する事はない。本人達が納得していれば其れは其れで認めると言うのが普通の感情である。
織田信長と森蘭丸の関係もそうだが二人の関係は日本人は普通に受け入れている。
イギリスも含めて海外では男性同士の性関係は処罰の対象になっていた国がつい最近まで在る。
アフリカを含めて中東では今でもそうだろう。
日本で同性同士の性関係が処罰の対象に成った事は無い。
今でこそ、欧米は同性婚を認めている国が出てきているがそもそもキリスト教において同性愛は禁忌なのだ。
其の根強い慣習の違いが少し関係しているのではと私は思っている。
未成年者への性加害は男女問わず犯罪の対象になり許されない事だと思うが「ジャニーズ氏の性癖」はとうに知られていて認識はされていたが其れを丸っと承知の上でジャニーズを受け入れて来た中に本人達が納得して其処に残って芸能活動をしているのなら其れを含めて応援しようと言う感情が私にはあった事は認めざる得ない。
女性アーティストが酷い性被害を受けた事が明るみに出ても彼女が其れに対して口を閉ざして加害者達を公的に訴えずに芸能界に身を置いて素晴らしいパフォーマンスを見せてくれていたので私は彼女の其の実力を評価して見せてくれている其のパフォーマンスのファンで在った。
彼女が心の傷、深い精神的傷を乗り越えられなくてどんなに苦しんでいたのかは推測出来たが其れを抑えて私達に見せる物は他を突き放して捨て身とも思えるパフォーマンスを私は評価していた。
ジャニーズに関しても目に耳に見える物、聞こえる物、其の彼らが努力して見せてくれている物を評価していた。
其の事が長い事ジャニーズの中で被害者を作り続けていた結果になったとしたら私も加害者で在ったのだろう。
マスコミもそして企業も同じである。
同じ様に女性アーティストに対しての芸能界の性被害が公的に犯罪として刑罰になって来なかった事を被害者で在る本人が口を閉ざしているのを私達は其れを含めて彼女達を応援していた。
そんな事に負けないで其れをはねのけて其のパフォーマンスを見せて聞かせて続ける其の生き方を応援してきたが其れが第2、第3の被害者を産む結果になっていたとしたら私達はどうすればよかったのだろうか?
彼女が口を閉ざしているのを暴き立てて執拗に其の事実を付き続ければ良かったのだろうか?
其れが彼女を追い詰めて私達の前であのパフォーマンスを見せる力を失せたとしてもそうすればよかったのだろうか?
日本の同性婚は別として同性愛を犯罪としてこないで認めて来た慣習と同性愛其の物を犯罪としてきた国が此処数10年で同性愛を認める事が在ったとしても根深く同性愛を宗教上からも犯罪としてきた慣習の感情が残っている国とでは違いがあるのかもと思う。
そして其れとは別に本人が口を閉ざしている間は口を開く時が来るまで其れ程心の傷が深いと思うので其の傷を抉り出してさらす様な事をする方が残酷ではないかと言う思いが2次被害3次被害を招いていたと言う現実を思うとどうすればではよかったのかと思う。
『北幸次氏が訴えた時』に大きく騒いで大きく抉り出してジャニー氏を犯罪者として処罰の対象にしてあの時に何らかの大きな刑事事件の刑罰を彼に与えて居たらどうなっていただろうか?
其の後のジャニーズは無かったのだろうか?ジャニーズと言う会社も其処でなくなっていたのだろうか?
其の後のあの大勢の私達を夢中にさせたドキドキしたときめきをテレビの前に映画館にライブでのあの興奮は無かったのだろうか?
ジャニー氏の被害者達を心の屍として其の環境の中で苦しんでいる少年達の傷を踏み台にしてあれだけの光を放った強いパフォーマンスに私達は魅せられて吸い寄せられてきた。
其の事実を海外の人達は単に性加害者を出したジャニー氏の問題だけで片付けようとしている。
私は女性アーティストが自分に起きた事を口を閉ざして其の後に見せてくれたパフォーマンスを無かった物として否定する事は出来ない。
同じ様にジャニーズの少年達が此れまで見せてくれたあれだけの輝きを無かった物として或いはジャニー氏の犯罪を持って否定する事は出来ない。
其れは余りにも彼らの心の苦悩と其れを乗り越えようとする努力とそして見せてくれていた物が彼らの実力が魅力的に大きかったと思うから。
此の反応は海外の或いはキリスト教の教えで同性愛其れだけで犯罪として刑罰を与えていてここ10数年で其れが刑罰の対象で亡くなった国との反応が違うと言うのも影響しているのかもしれないが
少しは其れもあるのかもと思ったりもする。
「ボーイズラブ」なる物が一つの文化として認められている国とのそうではない国との違いなのかもしれないが本人達が其々個人一人一人の状況が違うけど其の立場で精一杯私達に見せてくれていたパフォーマンスの輝きに魅かれていた事実を否定する事は私には出来ない。