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さつまいもの日

グルメ

13日(金)は、全国的に晴れる所が多いでしょう。

ただ、九州南部や南西諸島は雲が広がりやすく、所によりにわか雨がありそうです。
 
【ハロウィンでしたい仮装は?】

A、囚人服

【さつまいもの日】 Sweet potato Day

☆サツマイモを「十三里」と呼ぶことから、
 1987年に埼玉県川越市の「川越いも友の会」が、
 旬にあたる10月13日を「さつまいもの日」と定めました。

<概要>

〇「川越いも友の会」で❝おいもの地位復権❞目指したアメリカ人

サツマイモの産地で知られている埼玉県川越市。
この川越で「おイモの先生」と呼ばれているアメリカ人がいます。

東京国際大学・名誉教授のドゥエル・ベーリさん。
自然豊かなオレゴン州に生まれたドゥエルさんが日本へ来たきっかけは
何だったのでしょうか?

「私の父は19歳で徴兵され、南太平洋で日本軍と戦いました。
 子供の頃、戦争体験を自慢げに話したがる父親が多いのに、
 私の父は一切しませんでしたね」

ある日、手の届かない棚の上に赤い人形が置いてあるのを、
好奇心旺盛なドゥエル少年は見つけます。
じっと観察すると、その人形の胴体がちょっと壊れていて、
文字のようなものが見えました。

「何だろう?あれは?」

後で知りますがその人形は達磨(だるま)で船便の途中で壊れ、
下地に使用されていた日本語の新聞紙が見えていました。

「終戦後、父は進駐軍で赤十字関係の仕事をしていました。
 本当は禁じられていたのですが、日本人の友達が出来て、
 帰国後も交流があったんです。
 そんな父の影響で私も日本に興味を持ち。
 「いつか行ってみたい」と大学で日本語を学び、
 23歳の時、姉妹校だった国際商科大学に短期留学しました」

 *国際商科大学・・・現:東京国際大学

ホームステイ先の娘さんがおやつに出してくれたのが、
生まれて初めて食したサツマイモでした。
ジャガイモとは異なり、ネットリとして甘みが強く、
その美味しさにドゥエルさんは驚きます。

「実はサツマイモも美味しかったんですが、
 そのサツマイモを出してくれた娘さんに恋をしてしまい、
 もっと日本を知りたくなったのが正直な気持ちなんです」

その恋は見事に叶い、結婚をします。

その後・・・

2人の子供のパパになります。
ここからドゥエルさんの奮闘が始まります。

「今でこそ「蔵の街」として観光客で賑わっていますが、
 私が川越に住み始めた70年代当時は、
 蔵がボロボロでほったらかしのまま、とても寂しい場所でしたよ」

活気も無く閉鎖的な川越に馴染めず、妻に愚痴をこぼしますと・・・

「だったらPTAの活動でもしてみたら?」

このように言われ、小学校へ。

PTAのお母さん達の中で、背の高いアメリカ人のドゥエルさんは
ひときわ目立ちました。

さらに公民館での地域活動に参加します。
「川越祭り」の山車を引くうちに、地元のお年寄りとも仲良くなりました。
次第に川越の良さを肌で感じるようになります。

[「川越祭り2023」が10月14日(土)、10月15日(日)に開催]

 例年、毎年10月の第3日曜日とその前日の2日間での開催となり、
 川越中がお祭りムードになる川越の一大イベントです。

 祭りの形態は江戸天下祭の影響を強く受け、
 絢爛豪華な山車が挽き廻されることが特徴です。

 昨年2022年の開催も大変な混雑でした。
 昨年は2日間の合計で57万人が来場しました。
 2019年は88万人が来場されたということで、
 その規模の大きさを実感出来るはずです。

 市内には多くの出店も出店し、
 食したり、飲み歩きも出来るとあり、多くの方が来場されます。

 〔川越祭りの歴史〕

  370年の歴史を誇る代表的なお祭りの1つです。

  1648年に当時の川越藩藩主の松平信綱(のぶつな)公が
  川越氷川神社に神輿、獅子頭、太鼓等を寄進し、
  祭礼を奨励したことに始まるとされています。

 〔国指定重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産〕

  2005年には「川越氷川祭の山車行事」として、
  国指定無形民俗文化財にも指定され、
  又、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」にも登録されています。

 川越祭りは、川越駅、川越市駅、本川越駅という市内の主要駅を中心に、
 川越の観光中心地である蔵の街商店街までが全てお祭りの範囲になります。

その良さの1つが「おイモ」だとドゥエルさんは思うのですが・・・

「イモなんて自慢にもならないよ」

このように言われる程、地元では恥ずかしいもののように思われていました。
こんな状態にドゥエルさんは立ち上がります。

地元の有志と共に「おいもの地位復権」を目指し、
「川越いも友の会」を発足します。

・おイモの体験栽培          ・シンポジウム

・お祭り               ・イモ料理講習会

このように「川越いも」の啓蒙に努めました。

こうした活動に刺激され、「蔵の街」を中心に、
お菓子専門店や料理店が増えていきました。
県外からも観光客が訪れるようになります。

この活動が評価されまして・・・

1991年に「サントリー地域文化賞」を受賞します。

「あの頃はテレビや新聞等、毎日のように取材を受けて忙しかったけれど、
 今はもう、その役割は果たしましたね」とおっしゃるドゥエルさん。

現在は「サツマイモまんが資料館」の館長を務めています。
そして、障害者が働ける「干し芋工場」の建設等、
まだまだ多忙な日々が続いています。

ドゥエルさんの好きな言葉は・・・

「キュリオシティ」です。

「好奇心」という意味です。

■「サツマイモまんが資料館&川越いも学校」
 
 住所:埼玉県川越市元町1丁目15-5 紋蔵庵蔵の街店2階

□ドゥエル・ベーリ さん(Berry Duell)/サツマイモ文化研究科

・1949年生まれ アメリカ・オレゴン州出身
・1974年 川越市に在住。
・1981年 川越いもの研究を始めまして、国際的なイモ類学会にも参加。
・1986年 「川越いも友の会」会長を務める。
・著書に「アメリカ・サツマイモ事情」(1999年)等があります。
・東京国際大学名誉教授

問題 サツマイモが現在の鹿児島県から本州のどこへ
   伝来したかを教えてください。

   *鹿児島県・・・当時:薩摩藩

1、千葉県

2、静岡県

3、茨城県

ヒント・・・〇歴史

      正解の県とサツマイモの出会いは江戸時代まで遡ります。

      1766年(旧暦明和3年)薩摩藩の御用船でありました豊徳丸が
      遠州灘で難破し、御前崎沖で座礁するという
      海難事故が発生しました。

      遠江国榛原郡地頭方村の飛び地であります御前崎で、
      二ツ家の組頭を務めていました大沢権右衛門さんは、
      住民たちを率いて乗船24名を救助し、
      衣服や食事を与えて介抱しました。

      これに対し、薩摩藩側は権右衛門さんに金20両を
      謝礼として渡そうとしました。

      権右衛門さんは「難破船を助けるのは村の習わし」
      こう述べ、金20両を受けませんでした。
      謝礼金の代わりに積み荷でありましたサツマイモ3本を贈りました。
      こうして御前崎の地にサツマイモの栽培方法が伝わりました。
      
お分かりの方は数字もしくはサツマイモが現在の鹿児島県から
本州のどこへ伝来したかをよろしくお願いします。






 










  • gen_rin

    gen_rin

    2023/10/13 17:01:27

    こんにちは!快晴の金曜日をお疲れ様です。
    そうですね、戦争から生まれているものもありますよね。
    スキーもロシアが昔に軍で物資を輸送しやすいように発明したことからです。
    そうですね、その後にステキなストーリーですね。
    あはは、お上手ですね。
    確かにおイモさんはほくほくしますね。
    クイズに対してですが、大正解です。
    どうもおめでとうございます(祝)
    クイズの答えは、御前崎から茨城県に渡りました。
    そして、現在大生産地の茨城県になりました。
    因みに干し芋の生産量も茨城県が圧倒的に1位です。
    ミオティカさん、お忙しいところ、こうしてどうもありがとうございました。

  • ミオティカ

    ミオティカ

    2023/10/13 15:06:04

    戦争と言う酷い歴史もありますが
    そのあとのステキなストーリーがあったのですね^^
    ほっこりほくほくしました(サツマイモなだけにw

    え~~と 2番ですかね?w