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七五三

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ニコットおみくじ(2023-11-15の運勢)

おみくじ

こんにちは!低気圧の影響で西日本は所々で雨が降るが、午後に腫れる。

北陸と関東は曇りで雨の所も。
東海や東北、北海道は晴れる。
沖縄は晴れ。

【七五三】 しちごさん

☆7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事であります。
 神社やお寺等で「七五三詣で」を行いまして、
 報告、感謝、機関を行います奉告祭です。

<概要>

〇七五三はいつの時代から始まったのか?

七五三は古くから日本の伝統的な行事として親しまれてきました。

@祈禱を受ける習慣

 平安時代には子供の早生を防ぐ為や無事に成長することを願い、
 特定の年齢の子供達を寺院や神社に連れて行き、
 祈祷を受ける習慣がありました。

 この習慣が、現代の七五三の形に進化してきたと考えられています。

〇七五三の起源

平安時代に日本の貴族社会では子供達の成長と健康を願う為の特別な儀式として、
「七五三」が行われてきました。

@健やかな成長を祝福

 この儀式は宮中の厳(おごそ)かな空間でのみ執り行われるもので、
 3歳、5歳、7歳の需要な節目を迎えました子供たちの健やかな成長を
 祝福するものでした。

 平安時代の子供達の生存率が低かった背景を考慮しますと、
 この儀式は家族にとりまして非常に意義深いものであり、
 子供達の生命と健康を祈る心のこもりました行事でありました。

 [平安時代の子供達の生存率]

  天皇や武家棟梁ではある程度は正確に出ています。

  平安時代から幕末までは大体50%が成人(およそ12歳)に達しています。
  庶民は不明ですが、江戸時代は半分と想像されています。
  衛生環境や衣食住の安定している将軍に比べまして大差がありませんので、
  庶民はもっと育たなかったのではないかと想像されます。

  山のような地蔵様が残りまして、間引きも多かったようです。

  同時に5歳までは神の内ともいわれまして、
  平気で子供を殺すとフロイスは掲載しています。

  〔5歳までは神の内(七つ前は神の子の意味)〕

   七つ前は神の子とは七歳未満の子供は神に属する程、
   神聖な存在です。
 
   多少のわがままをしたり、
   礼儀に反することをしても咎(とが)められることはないという意味です。

   「七つまでは神のうち」ともいいます。

   七つになるまでの子供には、親や大人が色々と言い聞かせても、
   その通りに言うことを聞くことの方が難しいです。

   2~3歳くらいの動きが活発になりました年齢の子供は特にそうです。

   《ルイス・フロイス》さん
    Luis Frois

    1532年ー1597年7月8日

    ポルトガルのカトリック司祭、宣教師です。

    イエズス会士として戦国時代の日本で宣教しまして、   
    織田信長公や豊臣秀吉公らと謁見しました。

    〔イエズス会〕 Societas lesu カトリック教会の修道会

     1534年にイグナティウス・デ・ロヨラ様を中心として、
     フランシスコ・ザビエルさん、ピエール・ファーブルさんら
     7人により創設されました。

     1540年にローマ教皇パウルス3世様によりまして承認されました。
     
     創成期から世界各地への宣教に積極的に取り組みまして、
     日本に初めてカトリックをもたらしました。

     尚、イエズスさんは、中世ラテン語によりますlesusの古くからの
     カトリックの日本語表記です。

    ≪フロイスさんから人格を否定されました戦国大名≫

    戦国大名の人格を知る上で貴重な史料とされますのが、
    ポルトガルの宣教師フロイスさんの「日本史」です。

    フロイスさんは多くの大名と接しまして、その人格を評価しました。

    しかし・・・

    その評価基準は明確に偏(かたよ)っておりまして、
    キリスト教を振興している戦国大名を高く評価しました。

    □竜造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)公

    1529年ー1584年

    肥前国(現:佐賀県)の戦国大名として知られていますが、
    キリスト教の布教には否定でした。
    それ故、フロイスさんの評価も芳しいものではありませんでした。

    「キリシタン教会の最も激しい敵であり、はなはだ残虐な暴君」

    このフロイスさんの言葉は隆信公を蛇蝎(だかつ)の如く、
    嫌いました証左です。

    隆信公はあまりの巨漢だった為に、
    フロイスさんは隆信公が6人担ぎの駕籠(かご)に乗っていたと
    記しています。
   
    又、宗隆寺「(そうりゅうじ)佐賀市」に残ります
    「竜造寺隆信像」(享保4年:1719年)は、
    隆信公の肥満ぶりを後世に伝えています。

    ■武田信玄(たけだしんげん)公

    1521年ー1573年

    武田信玄公は甲斐「かい(現:山梨県)』の戦国大名と知られています。

    フロイスさんが言うのは・・・

    「彼(織田信長公)が最も煩(わずら)わされ、
     常に恐れていた敵の1人」

    「戦争においてはユグルタに似たる人」

    *ユグルタ公・・・紀元前2世紀のヌミディア王で戦争が得意だった人

    信玄公は出家していましたが・・・

    「毎日仏像を拝むが、信仰の願いは他国を支配すること」
  
    「僅かの失敗でも容赦なく殺す恐るべき人物」

    このようにフロイスさんは記しています。

   2014年の日本の場合はWHOの統計で1000人あたり2人、
   世界で6番目に低く、逆に最も死亡率が高かったのがアンゴラで、
   1000人あたりで47人です。
   「昭和30年頃の日本もアンゴラと同じくらいの乳児死亡率だった」と
   「本当は怖い日本のしきたり」という本に掲載されています。

〇平安時代の平均寿命

・男性:33歳

・女性:27歳

@平均寿命が低い死因(平安時代の主な三大死因)

 ・結核

 ・脚気(かっけ)
 
 ・皮膚病

 ★理由

  主食が稗(ひえ)や粟(あわ)等の穀物でありました為、
  肉や魚といいましたタンパク質が不足していたと考えられています。

〇源氏物語が七五三の普及に果たした役割

平安時代の名作「源氏物語」には、
当時の生活や文化、習慣が詳細に描写されています。

〇江戸時代に商業政策の一環として「七五三」が推奨される

商人や町民達が七五三の行事を盛大に行いますことで、
衣服やアクセサリー、お祝いの品々の需要が高まり、経済が活性化されました。

問題 源氏物語の中では・・・

   ・光源氏さん自身の袴着(はかまぎ)が皇太子でありますお兄さんより
    華やかで嫉妬を集めた

   ・明石の君が生んだちい姫を引き取って、
    袴着の儀で光源氏さんの娘として披露した

   このように袴着の儀にまつわりますエピソードが描かれています。

   光源氏さんのお名前を教えてください。

   *諸説あります

1、源融(みなもとのとおる)さん

2、源義経(みなもとのよしつね)さん

3、源義光(みなもとのよしみつ)さん

ヒント・・・〇正解の人物 宇治の別荘は後に平等院に

      822年ー895年9月17日 

      河原左大臣で嵯峨天皇の第十二皇子です。

お分かりの方は数字もしくは光源氏さんの名前をよろしくお願いします。







   





 




  • gen_rin

    gen_rin

    2023/11/16 22:52:48

    こんばんは!新イベントが始まりました中、コメントをありがとうございます。
    曇りの木曜日の夜をお疲れ様です。
     おお~、流石ですね!分かりましたか!
    大正解です、どうもおめでとうございます(祝)
    その質問は経験が無いので分かりかねます(汗)
    はい、ノエママン、どうもありがとうございます。
    お天気が下り坂の所も多いようですので、
    体調を崩さないようにどうぞお過ごしくださいませ。

  • ノエル

    ノエル

    2023/11/16 22:31:54

    げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
    木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
    1、源融(みなもとのとおる)さん☆彡(`・ω・´)b
    モテまくり人生って、どうなんだろ?ww( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
    無理せず無茶せず、心と体を労わりつつ、花金もガンバルンバりまっしょ~い☆彡e(^-^)g